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座間市の事件をニュースで知って

回答数回答 2
有り難し有り難し 68

いつもこちらのサイトを拝見させて頂いております
お坊様方の素晴らしい回答にいつも敬服の思いでございます

近頃座間市の猟奇殺人が世間を騒がせておりますね、被害者とそのご家族を思うと胸が締め付けられるようです

そこでお坊様方に質問なのですが、このような理解しがたい陰惨な事件に私達はどんな心構えで向き合うべきなのでしょうか?

私は正直加害者に対し「こんなヤツ死刑にしてしまえ」と短絡的な思考になってしまいます
これで解決しない事も重々承知なのですが...つい感情的になりがちで...

仏門に入られた皆様はこの事件をどう捉えられますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

他人事ではなく、わがこととして。心を近づけ過ぎずに。

まずは亡くなった方に祈りをささげてあげてください。https://hasunoha.jp/questions/22199
人間はすべての「〇〇性」を持っているものです。
残忍性、非道性、猟奇性、、、狂気。
道徳性、人間性、宗教性をも。
引き出す引き出しを誤れば残忍な道を歩む人も増えるでしょう。
たまたま私たちは恵まれた環境だったのかもしれません。
誰もが飢餓状態、危機にさらされれば悪魔となる場合があります。
それは私自身、修行道場で日々2時間くらいしか寝られない部署で体感したことです。
体がボロボロになってくれば自分のことで精いっぱい。
色々失敗をして周りからはバカもの呼ばわりされ、孤立していく。仲間だった人間たちでさえ嫌いになり始める。そういう心が引き出されるということは人間は誰にでもそういう面を持っていると感じました。もちろん、座間市の殺人事件は許されることではありません。
ところが、すでに世間は彼を材料に様々な憶測を立てて人の歓心を買う材料にしているように感じる面すらあります。そういう心理の方がもっと残虐であるとも感じます。
だからこそ、われわれはいざ、自身の心に向き合い、人間にはそういう残虐性がだれにでもあり、そこが加速すればさすがにあそこまで非道にならないとはいえ、MADな心に染まる面を持ち合わせているということです。
事実、連日報道されるニュースの内容を聞いて、聞くだけでも人の心が実際に病んでいるでしょう。それが「感化される・影響される」我々のふらつきやすい心というものです。
愛に恵まれず、否定、批判、批難、悲観の中で育った人間はゆがんでいくものです。
「私はこんな目にあわされた」という被害者意識も時として凶悪性をも帯びていくのです。
だからこそ、自殺志願や狂気とは真逆・対極にある「救い」のチカラを持った人にあなたがならなければいけません。
私になんてムリだと思ってはいけません。そういう心こそ、見捨てなのです。
偽善者ぶってでも、後ろ指をさされても、売名行為だと言われてでも、それでも善行をつむのです。
それが無くなった人たちへのせめてもの追善となるのです。
もう、こんな社会はウンザリでしょう。
ウンザリだといった後に進む方向を間違えてしまう人が多いのです。
ウンザリだ。だからこそ、オレは、この世で誰かを日々、助ける。
そういう気持ちを菩提心というのです。

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有り難し
おきもち

全ての皆が、清らかな善き流れに乗れることができますように

Isak様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

私たちは、皆、平等な世界に住んでいます。

「一切は、縁起し空である」という世界となります。

その中では、差別、区別はないものとなります。

しかし、その中において、衆生たちは、無明(根本的な無知)によりて、煩悩が生じ、そして、悪い行いとしての悪業を積むことで、悪い輪廻を彷徨い続けてしまってもいます。

そんな悪い輪廻にある者たちを皆、平等に救うための教えが仏教となります。

私たち誰だって、心の闇(根本的な無知)は抱えているものであります。それは、私だって同じです。皆、もしかすると加害者、被害者と同様になる懸念は持っていると言えるのであります。

お釈迦様の在世時に、悪いバラモンの奸計に掛かってしまい、99人(一説では999人)も殺人したアングリマーラという殺人鬼がおりましたが、お釈迦薩様の説得により、改心し、もちろん、人々からは多大な迫害を受けながらにも善き修行に精進し、やがて悟りへと至れるようになりました。

縁起の世界の平等とは、簡単には、因縁の世界における平等であるとも言えます。

善い因縁(原因と条件)には、善い結果となり、悪い因縁には、悪い結果となります。

これは誰だって同じことであり、今は、無明と煩悩と悪業にて悪い輪廻にある者でも、無明と煩悩と悪業を無くしていく善い因縁によれば、必ず善い結果へと向かえるということであります。

その善い因縁の方法が説かれてあるのが仏教であります。

もちろん、座間市で起きた事件の加害者も、しかるべきに善き因縁に取り組めば、必ず清らかな善き流れに乗ることができるようになるのであります。

それは、誰だってそうなのです。

とにかく、いかなる者でも、全ての皆が、清らかな善き流れに乗れることができますように、私たちにおきましては、しっかりと取り組んで参りたいと存じております。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます
ニュースを見る度にやりきれずご質問させて頂きました

この事件を知る程に世間に嫌悪感を持ちつつある自分に気付かされました
「だからこそ」の思いで日々精進して参りたいと思います

亡くなられた方々とご家族の為にお祈り致します

ご丁寧な回答ありがとうございました

川口先生、ご回答ありがとうございます

世間から見て救い難い人すら善き道を歩める様にさせるのが仏教と言う事でしょうか...その懐の深さに有り難みを感じました

私も含め全ての人が善き因縁の中にあればこの様な事件も起こらないのでしょうか...考えさせられると共に自らの行いに思いを巡らせてみたいと思います

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ