友人の愚痴との付き合い方
友人はいま第二志望の大学の自己推薦試験の小論文を練習していて第一志望の大学は残念ながら受かることはできませんでした。
本人は「受からなかったことよりまた同じような自己推薦の紙を書かなければならない」と言うことに落胆していました…
自分の長所短所や将来の夢や大学に来てやりたいことなどを書かなければならないという行為は小論文もしかり友人にとって堪えるものがあるようで…
しかしそんな友人を見て担任の教師はやる気がないように見えるようで私もそう感じざるおえないような友人の発言や愚痴ばかり聞いています…
やる気がないということはないだろうけどやる気があるようには見えない…という感じです…
「毎日学校に通っているだけ偉い」とか「一般入試の方がマシかも」とか「先生の教え方が悪い」など言うのですが、きっと書くことがうまくいかない腹いせに言っているだけなので私は頷いているだけでいいのかもしれないのですが…つい「もっと頑張らないと」や「テストや自己推薦用紙を書く意味がわかってない」や「甘えてちゃダメだ」などと言ってしまいます…私に言われた言葉と先生に悪口を言われていると自意識過剰になってしまったことが原因で泣いてしまったことも…
友人は元の高校の生徒が嫌で私と同じ通信高校に転校してきました。
この学校での生活は正直ラクでまさにお金で単位を買ってるようなもの…だからこそ自分の力で勉強して自立の力を自らつけなけれなならないのだと思います。しかし友人はこの生活がさも当たり前のように感じてきているのか上記の有様です…
自分で転校先の高校を探しもせず、ある生徒に怯えているだけの他力本願で結局転校、大金を払って単位をもらっているのに一般入試の大変さを軽く見て堕落にかまける友人の姿は見ていて複雑です。ただ言いたいだけの愚痴だとしても学校までの悪口を言われると便乗して転校してきた身で良く言えるなと正直思わざる得ないです…
けど友人自身内気なだけに我は強くて愚痴が酷いだけで悪い人じゃなくやらなければならないことをわかっていると思うし事実成果は出なくても頑張っていると思うしそれを応援したい、つらかったら話だけでも聞いてあげたいのですがどうしても余計な口が出てしまいます…どう友人と接したらいいでしょうか…?かなりの長文になってしまって申し訳ありません…ぜひ回答をよろしくお願いいたします。
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それは辛い
愚痴を言ってスッキリしているならいいですが、自分が嫌に感じていることを人のせいや環境、社会のせいにして、それを愚痴るのは全く解決になりません。自分が未熟であることをアピールしているだけ、虚しいもんです。
それをどうにかしたいと感じるのでしょうが、そればかりは本人が気づかない限りどうにもなりません。あなたはあなたの努力をしっかりして、そのお友達とは一生付き合うわけでもないでしょうから、適当に聞いてあとは本人に任せておけばいいでしょう。
愚痴も褒め言葉も、車のブーンもみんなただの音。意味も考えず耳の働きのまま聞いていたら、大丈夫。鳥のさえずりとか、カラスのカァカァとかそんなもんと変わらない。
それでも愚痴を聞くのが耐えられないなら、ちょっと愚痴はやめてもらっていい?とか言ってみてください。離れるとかね。