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自分が分からない

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有り難し有り難し 9

以前、心が怖いで投稿した者です。
心がブラックホールのようという回答でブラックホールは自分が作り出したものと気づけました。
しかし、心というのは虚無でその虚無で考えたり、思ったりする僕は何なのか?
この考えや思いはどこから来るのか?自分がわからなくなりました。
僕は僕なんですか?
僕自身で判断などしてるのか、別の誰かが判断して行動や思いを起こさせているのか。
考えたらわけがわからなくなって怖くなってしまいました。
何を言ってるんだ?って思われるかもしれませんがよろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏道をならふといふは、自己をならふなり

自分自身を知ることが、仏道の一番大切な目的といえます。自分とは何か。そこに真摯に向き合うあなたの姿勢は素晴らしいと思います。

そこが明らかになれば、救いの道、悟りに至るという事です。
悟りを心底見極めた人は、自分なんてものはまるでないということに至るそうです。

体があるので、自分=この体、と思っている人は多いと思いますが、この体を使い、全ての環境と一体となって生活しているのです。音にしても、ものを見ることにしても、味にしても、感覚にしても、全て同時です。ものがあればそれと一体となっている。こちらからとか向こうからということもないほど、同時に起こるのです。

今スマホを見ていますが、こちらから見るとか、スマホが見せているとかそんな感覚は一切ありません。目を開けた途端にそれがそのようになる。ここに自分が見ている?なんて感覚はないのです。つまり自分が立たない。

禅はそれをとことん追求する道です。坐禅をして解釈ではなく、体を使い体験するのです。頭を使い理解することはできない道です。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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「私以外、私じゃないの~」

ヒサシ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「私以外、私じゃないの~」って歌がありましたが、まさに「私以外は私ではない」のですが、その私というものが、何か「実体」としてあるわけでもありません。

じゃあ、私は無いのか、そんなこともありません。私は現に今、「私」として存在はしています。

実際に、自分の手を自分でつねってみて下さい。

痛いですよね。幽霊ではない。私は「いない」、「無い」わけではありません。

ただ、「五蘊仮和合」[五蘊・・色(物質・肉体)、受(感覚・感受作用)、想(表象・概念作用)、行(意思・意志作用)、識(意識・認識作用)]と申しまして、色々な私を私らしく構成している各要素が集まって、それで何とか私というものが維持されているに過ぎないということであります。

ですから、これが私かな、いや、これかも、と、五蘊のどれをかき分けて探しても、「私」という何か実体がどこかに見つかるわけではないのであります。

まあ、実体は無くても、生きていられるのは、色々なご縁によるお陰様でもあります。

善きご縁によりて、善き人生もあり得ることとなります。

そして、仏教的には、悟り・涅槃へと至れるための善き因縁(原因と条件)に努めることで、善き後生へも向かって参りたいものとなります。

「心」もしかりです。仏教の説く善き因縁に努めることで、善き心を形成していくことができるようになります。

是非、これを機会に仏教の説くところの「空」や「縁起」ということについても関心を持って頂けましたらと存じます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

邦元様、川口英俊様、お忙しい中お早いご返答ありがとうございます。
自分とは何かというのを考えていきますと精神とは心とは結局は脳だということになり、この考え、思いは脳からだろうと。
しかし、この考えや思いの出どころはどこなのか?これは本当に自分が考えていることなのか?
考える前に考えているようで別な何かがそう思わせているような感覚になり、怖くなりパニックになってしまいました。
日顕様が自分は周りのすべての存在のおかげで成り立ってるというようにおっしゃっていました。
確かに自分自身は家族だったり友達だったりの影響で自分が作られたと思います。
体も色んな原子の集まりであると。全てが一体となっているので実体があるわけではないということですね。
頭でずっと考えていましたが頭では理解することができないのですね。
こうなるともう自分自身を信じて考えすぎず生きていくのがいいのか。考えても考えてもおかしくなりそうなのでもう考えない方がいいのかもしれません。
頭も痛くなるし、胸もお腹もモヤっとしてご飯も喉を通らず苦しんでいました。
お坊さんはいつもこのようなことを追求しているというのはすごい精神なんだなと尊敬してしまいます。
気になりだしたらとことん追求したくなる性格なのですが、いったんここと考えをやめようと思います。正直、精神が持ちません。考えても自分は自分だと言い聞かせようと思います。
こんなこと考えて苦しんで馬鹿みたいじゃないか考えてもどうにもならないもっと気楽にと思っていましたが、邦元様の真摯に向き合うあなたの姿勢は素晴らしいと言ってくださり馬鹿ではなく実りがあることなのかな?とちょっとホッとしました。
ありがとうございました。
厚かましいですが、また自分を見失うことがあったらここへきてもよろしいでしょうか?

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