仏様に対して
毎日お釈迦様や観音様へお経をあげ、灯明やお水、線香を炊いているのですが、父親から仏様を拝むのを縁起が悪いから辞めろと言われました。
ですが辞めたくありません、私はどうしたら良いのでしょうか。
家にあった仏像や仏画などは撤去されてしまい、どのように今後拝めばよいのか分かりません。
お坊様、助けてもらえませんでしょうか。
親に対しての秘密。 性癖に対しての苦悩。 他者に対する嫉妬。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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なるほど。残念な事ですね。家族とはいえ他人の気持ちを変えるのはなかなか難しいものです。
近くのお寺さんに行ってお参りするというのはいかがでしょう。散歩の気持ちで出かければ気分転換にもなります。本堂に上げてもらわなくても、本堂前で手を合わせれば良いです。
「哀愍納受」
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
お経はかろうじて読むことができるのであれば、諸尊が現前におられるように思い浮かべられて観想されながらに読経なさられるのでも構わないかと存じます。
仏像や仏画は、あくまでも象徴としてであり、仏様そのものではありません。心からの深い帰依心があるのであれば、象徴は無くても観想でも十分となります。
また、灯明やお水、線香などのお供え物も、あくまでも、尊いお方への敬意として、自分の尊敬心の表れ(線香は、場の清浄のためという意味もあり)として行うものであり、もともと、それらは諸尊におかれては十分に満たされているものでもあり、まあ、正直に、どちらかとなれば、私たちから捧げるものはいらないものとなります。
もちろん、私たちから申せば、できれば致したいものとなりますが、あくまでも、「哀愍納受」と申しまして、無理に、どうか哀れんで受け取って下さいませ、として差し上げる程度のものなのであります。
できれば、仏像や仏画、灯明やお水、線香も、あれば良いのですが、どうしても無理であれば、観想と読経だけでも良いのであります。
また先でしっかりと仏具を調えてできるようになれば、その時には宜しくお願い申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
光禪様、川口様。ご回答本当にありがとうございます。
ご回答を頂いて鎌倉のお寺まで歩いて毎日通うことにしました。
また、お経は小声で、または頭の中で唱えることにしようとおもいます。
観想というものに関してはまだ難しいですが、少しでも仏様へ近づけたらとそこにいると想像してみようと思います。
ご回答本当にありがとうございました。