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どの集団でも長くいることができません

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有り難し有り難し 16

学生時代から、ひとつの集団に長く属することが出来ません。
高校……2年生の途中から不登校・ひきこもり。転校先で卒業
大学……5年かけて卒業。うち2度(合わせて2年ほど)不登校・ひきこもり
就職後……2年半、1年半で退職。今の会社は3社目で現在2年目

原因は全て人間関係です。しかし、激しいいじめを受けたりというより、何となく合わないところを我慢できなくなって、という方が近いような気がします。

学生時代は特定のグループに属することはなく、いわゆる一匹狼のような節がありました。ずっと同じ集団に居ることが苦手で、色んなグループを転々としていたような記憶があります。
就職してからは一人行動が出来るようになったため、その点ではかなり楽になりました。
しかし今度は、理不尽な仕事の振られ方に腹を立て、謎の指示に腹を立て、部下を安月給でこき使う上司に腹を立て、上司のご機嫌伺いと他の社員の陰口ばかりの女性社員に腹を立て、自分たちの保身しか考えていない男性社員に腹を立て……
そういう怒りを冷静に訴えることも出来ず、自分の中に溜まっていくのを感じながら働いています。

そして、クラスメイトや上司や同僚の矛先が私に向いたとき、私はそれに耐えることが出来ず折れてしまいます。
選んだ場所がたまたまそうだったんだと思い転校や転職をしてきましたが、具体的な内容は変われどストレスの内容はあまり変わりませんでした。
そのため、これ以上職場を変えても解決にならないように思います。

10年以上付き合いのある友人は複数いますが、全て一対一の付き合いです。
グループ、集団になると途端にダメで、実は家族も苦手です。
世の中は人と人との繋がりで出来ているのに、そのなかでやっていけない自分はなんてダメなやつなんだと落ち込んでいます。

なぜ複数の人との付き合いがこんなに苦手なのか、どうすれば克服できるのか、ご意見を頂けると幸いです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

集団と言えど個の集まり

人には向き不向き・得手不得手があります。集団が苦手というのならそれも仕方ない事なのかもしれません。
しかしどれだけ集団や組織に属しての作業が少ない仕事を選んだとしても人間関係を持つ必要が全くないものはありません。

集団とはいえ個々の集まりです。お話をお聞きすると最後のとどめはクラスメイトや上司や同僚などそれぞれですが特定の個人なのではないでしょうか。

「こうあるべき」「こうでなければならない」「私は正しい」

という思いが強ければ、どこでも誰とでも、大きな摩擦を生むことがあるでしょう。

行くところにいつも敵がいるのではなく、行く先々で敵を作ってしまうのです。これを仏教では避けられない苦しみである「怨憎会苦」(おんぞうえく)と説きます。
そうであるならば問うべきは相手ではなく、私の在り方ということになるのでしょう。

世の中には理不尽な人がいるものです。そして会社や組織などの集団はそれぞれの理論のぶつかり合いの縮図です。それぞれの理論を自分のモノサシではかって、「これは理不尽だ」「これは理にかなっている」と裁いているのはいつも私です。

しかしよく考えてみるとその理論は相手のものであって、私がその理論を理解し、ましてや同意する必要もないのです。
理解できないものを理解しようとするストレスは計り知れません。相手が理解しているものを相手が理解しているとおりに認めてあげましょう。そこに私の理解というステップをはさまなくともよいのです。相手の問題を自分の問題にしないよう注意しましょう。

「(私は理解できないけれど)あなたはそう思うのね」

です。

しかし、現実これだけでは集団は回りません。それぞれが好き勝手にできるものでもないでしょう。
どうしても調整作業は必要になります。しかしそれは相手と私の理解の結果の矛盾に折り合いをつけるための作業であり、相手の理解の経過までまるごと私が飲み込みそれを理解・同意する必要はないのです。

簡単に言うと、考え方は人それぞれ、ということだけなのですが…。

あなたは一対一の関係において相手の理解を深く聞き、自分でもそれを咀嚼することで初めて安心できるのかもしれません。
しかしそれが集団になるとキャパオーバーになる。でもそれってそもそも必要のない作業だったのかもしれません。

相手は相手、私は私。どちらが正しいも間違いもないのです。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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