ものぐさたろう
ずっと鬱とした気持ちから逃れようと逃れ逃れ逃れようともがき足掻いてきた。今までそう思い生きてきた。そう思ってきた。生きる目的も楽しみも見いだせない。死にたいとただぼんやりと思い生きてきた。しばらく生きてやろう。その間に何かが変わればいい。棚から落ち来る牡丹餅をただぼんやりと待ち潜んでいた。しかしとうとう餅は落ちず月日は過ぎた。そうして今やあの苦しかったはずの憂鬱はぬるま湯に変わった。甘ったれた無気力。もう活力もとうに擦り切れた。かと言ってこうしてここに質問する活力は残っている。憎らしいフェイク野郎。死を盾に生きる人間。かと言って死もしない。憂鬱が去った確固たる安定した精神状態の今気が付いた。憂鬱が過ぎたことに恐れをなす自分がここにいる。いつからか私は無自覚の内、あの陰鬱を心地良く感じていた。気が付いてしまった。あの陰鬱な気持ちが恋しい。恋しくてまた再び陰鬱が訪れてくれまいかと慣れぬ煙を吹かしてみた。しかし、やはりあの陰鬱は帰ってこない。私は何を待っていたのだろうか。私は棚から何が降って来れば満足だったのだろうか。感傷か。果たしてそれさえわからない。わからない。そうして私はものぐさ太郎を思う。
お坊さん方はものぐさ太郎をどう評していますか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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縁に身をゆだねて…思いは事実に破られる
ものぐさ太郎についてはこちら↓であらためて読みました。
https://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/otogi/mono/monokusa.html
なかはらさんはものぐさではなくなってしまったものぐさ太郎がものぐさ時代を懐かしむとしたらこんな心境かなあ、と想像しそれにご自身を重ねておられるのでしょうか。
ものぐさ太郎はものぐさこそ自分の幸せと思っていたことでしょう。
しかしそれは「思考・妄想・思い込み」に過ぎなかった。
ものぐさ太郎が自身の力だけでものぐさを脱したわけでなく、ものぐさ太郎をものぐさ太郎のままにさせない力がはたらいたのです。
仏教ではこれを縁(えん)と言います。条件や環境、対象といったほどの意味です。
お話しの中では具体的には村人や地頭や「働き手を一人京に上京させよとの仰せ」や女房などなどがそれにあたるでしょう。
もちろん最後に上京の意志を固めたのはものぐさ太郎自身です。
しかしその意志さえもものぐさ太郎をしてそう決断させるだけの縁がはたらいた結果でもあるでしょう。
縁に突き動かされた結果、ものぐさ太郎は自信の「幸福観」がまさに「思考・妄想・思い込み」に過ぎない小さな世界であったことに気づいたでしょう。
自分の思考の世界がご縁・出会いの「事実」に破られたのです。
もちろん人の幸せは人それぞれです。
しかし、それが「自分の思い」だけに埋没しているものならば、より広く深いに目覚めさせようとする縁がその人にはたらいて放さないのかもしれません。
その縁に身を委ねるか、突き放すか、その態度を選択する自由は本人にあります。ただしその態度選択にさえも縁ははたらいているのですが。
その縁に気づけたならば孤独は消え、広く豊かで自由で穏やかな心持ちも生まれるのでしょう。
ものぐさもよし、ものぐさじゃないのもよし、これが私のご縁でした、と自らの人生にYESと言って。
う~ん、「ものぐさ太郎」は味わい深いですね。
なかはらさんはどう感じたでしょうか?