実母が嫌でたまらない回答受付中
実母のフォローに疲れました。
今考えると、母はいわゆる「限界知能」だと思います。
小学校高学年の頃から母の愚痴の相手をしてきました。母は「父が生活費をくれない」など父の悪口ばかりを浴びせるように言い、私は一生懸命耳を傾けて来ました。
これまでの人生で、母から怒られたことはほとんどなく、今考えると母自身、怒るべきか怒らないべきかの判断がつかなかったのだと今は思います。
母は目の前にある家事はできますが、役所での手続きや書類の記入、お金を計画的に使うことはできず、そういったことはすべて父に任せてきました。
大人としての正しい判断もできず、父に言われるまま堕胎したり、消費者金融からお金を借りたこともあります。
家族の事故や病気で手続きをしてきたのはいつも長女である私でした。
今私は小学生の子どもがいますが、のびのびと明るい性格の子で私にとってかけがえのない存在です。
ですが子育てをしながら、「私には子どもらしい子ども時代があったのだろうか」と考えてしまいます。
現在は妹や弟も積極的に母に関わってくれていますが、母は相変わらず私にだけ愚痴を吐き出します。
最近は母と電話で10分話すだけでムカムカして苦しくなります。
母を病院に連れて行き診断を受けさせるつもりはありません。
いつも頭の片隅に両親がいました。「もし子どもの頃にもっと自分のための時間を使うことができていたら、将来はもっと違っていたのではないか」とつい考えてしまいます。
夜になると行き場のない気持ちに囚われて眠れなくなります。
今まで長らく面倒見のよいしっかりした娘として頼られてきたので家族にもしここに書いたことを伝えたら驚くと思いますが初めてちゃんと文章になった気がします。
取り止めのない話を最後まで読んでくださりありがとうございます。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
しっかり者の娘を、そっと卒業するとき
あなたの文章には、長い年月をかけて「母を支え続けてきた人」の深い疲労と誠実さが滲んでいました。
幼い頃から母の愚痴を聞き、家族の実務を担い、誰よりも家を守ってきた人。
それは称賛すべき優しさであると同時に、あなたの心と時間を削ってきた犠牲の歴史でもあります。
1. 「母を助けたい」と「もう無理」のあいだで
お母さまの言動に「限界」を感じるのは自然なことです。
仏教では、他者の苦しみをすべて背負おうとする心を「慈悲の過剰」と言います。
慈悲は尊いものですが、それが自分をすり減らす形になったとき、もはや「慈悲」ではなく「執着」になってしまうものです。
あなたが母の電話に疲れるのは、心が「これ以上は抱えきれない」とサインを出しているから。
そのサインを無視せず、距離を取ることも愛のかたちです。
2. 「子ども時代を生き直す」ことは、罪ではない
「私には子どもらしい時期があったのだろうか」と思うのは、決してわがままではありません。
長女として“親の代わり”を務めたあなたが、ようやく自分の人生を取り戻そうとしているだけです。
仏教の言葉に「自灯明(じとうみょう)」
“自らを灯とせよ”という教えがあります。
母を照らすために使ってきた灯を、これからは自分自身を温める光に向けてください。
3. 「母を変える」より、「自分の境界を守る」
お母さまを病院に連れて行かないという決断は、責められるものではありません。
人を変えようとするより、自分の限界線を守る方が現実的で、尊いのです。
「今日は10分だけ話す」「愚痴が始まったら“また今度ね”と切る」
それだけでも、心のエネルギーが少し戻ってきます。
4. 「書くこと」は、癒しの第一歩
「初めてちゃんと文章になった」と書かれていましたね。
それは、あなたがようやく“心の荷物を言葉に置き換えられた”瞬間です。
言葉にすることは、無意識の鎖をほどく作業です。
どうかこれからも、思いを紙に綴ってみてください。
誰かに見せるためではなく、自分の心を少しずつ自由にするために。
あなたは、もう十分に“しっかりした娘”として生きてきました。
これからは、“自分をいたわる大人”として生きていいのです。
母を救えなかった罪悪感ではなく、自分を救う優しさを選んでみてください。
合掌
質問者からのお礼
あたたかいお言葉をありがとうございます。
『自分を大切に』と言われても今までどうしていいのかわかってなかったのですが、頂いた言葉の中からヒントをたくさん頂けたような気がします。
他人のではなく自分を照らす
拒絶ではなく境界線を引く
これらを意識して生活していけたら自分の心も楽になっていくような気がします。
ありがとうございました。






 個別相談可能
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 職業柄、人生相談はこれまで多数受けてきました。
ぜひご自身の本音を出してください。向き合ってください。
私は伴走させていただきます。
理学療法士でありますので、これまで急性期から終末期まで患者さんを担当。
町の診療所から在宅までキャリアを築く。
2歳から108歳まで患者さん担当。
カウンセラー、コーチ、コンサルタントでもありますので
メンタルヘルスから新規事業、マネジメントまで相談対応可能。
ビジョンワークはライフワーク。
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