生きていける気がしません回答受付中
不登校の中学生です。
ふと自分を客観視した時に、果たして自分はこれからの未来で生きていけるような人間なのかと不安になります。そして、いろんな可能性を、いろんな道を考えて、最終的にはいつも「やっぱり生きるの向いてないな」という結論に落ち着いてしまうのです。
私にはほんとうになにもありません。成績もそこまで良くありません。人と関われるような精神力もコミュニケーション能力もなくて、かといって地道な作業できるような忍耐力もなければ、家からまともに動いていないので体力もありません。そして何より、自分が感じている苦しさを盾にして怠けた生活を正当化しようとしてしまいます。
今の私は子供だから、「守られるべき立場」だから、まだ環境の優しさに甘えていられる。親の脛を齧っていられる。でも、そろそろ目の前のことだけじゃなく将来も考えなければいけない時期です。高校の案内も来るようになって、ぼんやりでも将来を見据えなくてはいけない。そんな時期なのに、私はいつまでも同じ場所で立ちすくんで、同級生たちの苦しみながらもハードルを超えていく背中を傍観することしかできないのが、本当に情けなくて嫌になります。
特技があるわけでもない。努力も碌にできない。感じている痛みを免罪符にする。果たしてこんな人間に、ストレス社会とも呼ばれるような現代を生き抜く術はあるのでしょうか。
「まだ中学生なんだから人生を諦めるには早い」と先生方に励ましていただけることもあります。実際、少し前まではそれを信じていました。でも事実として、私という人間は生きるのに向いていないのです。そのことに気づいてから、大人になっても自分が生きている未来が想像できなくなりました。
死ねるような度胸がない私はきっとこれからも、消えてしまいたいと嘆きながらダラダラと生きていくのだと思います。迷惑ばかりかけたこの身で、烏滸がましくも生きることに執着するのなら、せめてほんの少しでも役に立てる人間になりたいのに。もう私が生まれてきた意味がわかりません。親にも、先生にも、親戚にも、同級生にも、友人にも、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいです。
中学生。不登校。親が2回ほど再婚し、現在は母親とふたりで生活しています。
お坊さんからの回答 4件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「せめてほんの少しでも役に立てる人間になりたい」
偉いじゃないですか。なかなか言えることではありませんよ。
その気持ちを大事にしてくださいね。
毎日登校している生徒より頑なに不登校を継続している生徒の方が実はメンタルは強いんじゃないかと思います。
これからも担任や親や友人やスクールカウンセラーや子供の心療内科の先生など頼ってくださいね。定期テストは保健室でもいいので受けてくださいね。
勉強は自分で教科書を読んだりノートに自分なりにまとめたりして、分からないことは親か担任か友人か塾などで聞いてくださいね。
未来のことは一旦横に置いて、今できることを自分のペースでやっていきましょうね。あと、室内でもいいのでスマホ見るときはクランプしたり、テレビ見るときはゆっくりスクワットや足ふみしたりと適度に運動しましょうね。
焦らずに、ゆっくりと
まずはあなたの文章力に驚かされました。
的確な言葉遣いと表現力、そして理路整然とした構成。
とても中学生が書いた文章とは思えません。
相当な読書家とお見受けしました。
あなたは自分には何も能力がないと謙遜していますが、こと文章を書くことにおいては大きな自信を持ってよいでしょう。
さて、自分の将来が想像できないということですが、先生方がおっしゃる通り、焦らずに、ゆっくり行きましょう。
成長のスピードは人によってさまざまです。
拙速に事を運ぶ必要はありません。
高校に行くのも良し、行かないのも良し、です。
精神力もコミュニケーション能力も忍耐力も、長く生きていれば、そのうちに身に付きます。
「せめてほんの少しでも役に立てる人間になりたい」というあなたの言葉に、僧侶として感心しました。
あなたが夢中になれること(それが世の中のためにもなれば最高です)を時間をかけて探してみてください。
なにも心配はいりません。
はじめまして。浩文(こうぶん)と申します。
えすさんの、
「生きるの向いてない」というお気持ち、聞かせていただきました。
それも、冷静に、ご自分の状況を考えて、そのような結論に至ったのですね。
『でも事実として、私という人間は生きるのに向いていないのです。そのことに気づいてから、大人になっても自分が生きている未来が想像できなくなりました。』
励まされたところで、自分の実感はごまかせませんからね。
えすさんは、きっと自分の弱音や不安に、真正面から答えてくれる誰かを求めていらっしゃることでしょう。
しかし、そういう場所は現代では少なくなりました。
なぜだと思われますか。
えすさんの仰っている中にヒントがあると思います。
『成績もそこまで良くない』←学力
『人と関われるような精神力もコミュニケーション能力もなく』
『忍耐力もない』
『体力もない』
ぜんぶ、求められているのは”力”であり、『人』ではありませんね。
つまり、”道具(どうぐ)”なのです。
これらはえすさんの責任ではありません。
私たち大人が、そのように誘導しているからなのです。
”人材(じんざい)”という言葉を聞いたことがあるでしょう?
求めているのは”人間”ではなく”材料”なのです。
その結果、実際に社会のあちこちでひずみが生じているようです。
これらが悪いというのはありません。
そうではなく、こういった考え方で社会が動いているのは
あくまで”便宜上”だ。
もっとたいせつなことがある。
ということを教わり、学ぶのが、10代までの大事な時期なのです。
学校の先生も、おうちの方も、そんなことはきっと分かり切っていることでしょう。
でも、子どもの成績が上がればうれしいし、体力があれば安心なのです。
大事なのは、えすさんが、いまこうしてここに問うていること、
それ自体が本物の学問であり、将来に向けて大きな力になるということです。
問う相手は、日常一緒に過ごす人ではなく、ここハスノハや別のところがよいでしょう。本でも映画でもよい。旅もいい。
えすさんの年頃は脳がまた急激に発達する時期です。
不安になったり考えすぎたりするのは、それだけ脳が成長しているからなのです。
えすさんのような人こそ、必要です。
なにも心配はいりません。
ご参考いただければ幸いです。
南無釈迦牟尼仏 合掌
他者を祈る。
えす 様 相談ありがとうございます。
あなたがそのように、「生きていける気がしない、私が生まれてきた意味がわかりません」と思ってしまうのは、あなたのせいではありません。あなたは悪くないですし、あなたに責任はありません。
プロフィールのような家庭環境であれば、誰でも人間関係に回避するようになるのです。
でも、人は変わることができるんです。いろんな方法で変わることができると思いますが、とりわけ意識してほしいのは、他者へ意識を向けることです。
今は、自分のことで、「生きていける気がしない」と思ってそれに心が覆われているようですが、毎日少しずつでいいので、他者の幸せを願ってみましょう。
「〇〇さんが幸せになりますように
〇〇さんの悩み苦しみが無くなりますように
〇〇さんが喜びに溢れますように
〇〇さんが平穏でありますように」と。
毎日、ただひたすら祈ってください。目の前にその人が居るようにイメージして祈ってください。(〇〇の中は、祈りやすい、親しい人を選びましょう)
そして、何かで他者の笑顔を見たら、意識してそれを一緒に喜んでください。
妬みや嫉妬は、無視して、勇気をもって純真に一緒に喜んで共感してください。
自分のことは一旦置いといて、今この瞬間を大事にして他者を祈るです。
必ず祈りは通じます。
あなたはこのことで、「優しさ」や「思いやり」を今以上に育てて、やがて回避することから救われていきます。
そしてさらに祈るです
「私が幸せになりますように。私の悩み苦しみが無くなりますように。私に喜びが溢れますように。私が平穏でありますように」と
こうして人は、一歩前へ踏み出していくのです。
参考にしてください。



昼間は、ほとんど法務に出ておりますので、夜の応対になります。
できれば、事前にメールで相談内容を教えていただければ、スムーズなセッションになるように思います。
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