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なんだか、霊は本当にいるんじゃないかって気がしてきた。

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いつもお世話になっております。
きょうある知人と話した折、「私の母親は小さい時から見えて
いた」と話を聞きました。
              *
私自身は見えません。むしろそれで助かっています。
前の家に住んでいた時は、相続(争族w)や「件の寺」の事件
等々でのストレスもあり、頻繁に金縛りに遭っていました。
「おまえ、殺す」と聞こえたのを今でも覚えています。
霊障の存在はないと思っていますし、怖いとも思いません。
だって見えませんから。
              *
不成仏霊はそのへんに普通にいるのよ、と言われました。
まぁいたとしても不思議はないかな、と思い始めています。
ちなみに私は道端でカエルやネズミ、鳥などが死んでいたら、
必ずお念仏をしてあげることにしています。
導いてあげればいいだけの話。南無阿弥陀仏(笑)
              *
先生方はどう思われますか?ご意見頂きたく存じます。
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そういう作用を霊という

霊魂というものが存在するのではなく、厳密には霊魂的な作用がこの身心の上に現実的に現れるということがあるのです。
森で誰かに追われるような気がして引っかかれた、掴まれたと心底思えば体にも爪痕、掴んだ後が現れるのです。
思ったことと完全シンクロすれば本当に、それに近い作用が現れるのです。
幻覚、幻聴、それにプラスして思いの上でそう思えば確実に身心に現れる作用は霊魂【的】なあらわれでしょう。
だから、知らない人はテレビによく出てる太ったインチキ霊応力者に簡単に騙されるし、そういうもんがあると思っちまうのです。思っているから、その説を採用してそう信じ込んで坊さんがそうじゃないといっても聞く耳持たない。
結果的にその人の身心の上には一人で家も、そういうことを思いこんでいるので、本当にそういう働きが現れるのです。
ところで…、さっきから…、
あなたの後ろに…、
誰かいるのですが、お気づきですか?
え!?( ゚Д゚;)👻

その時、思い起こした心象作用が霊魂です。
いるんじゃないかと思えば、本当にそう思えてしまう。
窓から誰かが除いてるんじゃないかと思うと、そう思い始めてそう思えてしまう。
霊とは、自己の霊に対する認識の不足と、生きた存在、亡くなった存在に対する自分自身の思い入れの心象作用。亡くなった人の影響力。
生きている人に対する申し訳ない気持ちや後ろめたい気持ちがあれば生き霊。
恨みがましい木森があれば怨霊となる。
存在としてあるなしではなく、作用・働きとしてはあるのです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

もしも苦しんでるならば

拝読させて頂きました。
私は幼少の頃からよく霊が見えました。
様々な霊体験もしました。

子供の頃からは少なくなりましたけれども今でも毎月そのような気配を感じます。

ですから苦しみや悲しみをそこから感じたならば速やかにお念仏おとなえさせて頂きます。

それによりその霊は正しく仏様のお導きを受けてくださいますからね。

私にできることはまずお念仏です。

あなたももしも苦しんでいる霊がいたならば、そう感じたらどうかお念仏おとなえなさって助けてあげてくださいね。

あなたがこれからもお念仏と共にお健やかでありますようにと心よりお祈り申し上げます。

南無阿弥陀仏 合掌

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おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

【丹下 覚元 先生】
ご回答ありがとうございます。作用…つまり、目に見えないものをやたらと
「怖い」「気持ち悪い」「タタられる」などと忌み嫌うこの気持ちのことですかね?
亡者の影響力に関しては、未だに(私だったら)毒親から言われたこと、されたことが
頭から離れなくてそれが手枷足枷になって…などという状態。
フハハハ抜かったな。後ろは仏壇だ。プギャーwwwwm9(^o^)wwww
結論として、ヒュードロ出て来る物ではなく、あくまで見える本人の脳神経の状態、
周囲の人や故人の生前の行動言動による自身への影響やトラウマだったんですね!

【kosyo Kuuyo Azuma 先生】
ご回答ありがとうございます。あ、感じるんですね…ちなみに私は、
どんなに損壊した姿でカエルやネズミが死んでいても気持ち悪いとは思いません。
さすがに衛生面があるので足で蹴りながら道の端の土のある所によせてやり、手を
合わせて小さく1遍だけ念仏を唱えます。十念やりたいけど人の目があるので…汗
わたし浄土宗でよかったです。苦しむみ霊さんをこんな私でも助けてあげられるん
だから。念仏、ずっと続けていきます!南無阿弥陀仏(^人^)

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