ハズレくじばかり
自分の通う学校にも文化祭の季節がやってきたのですが、
毎日決められた仕事をこなさない人がいます。
かといって抜けた仕事をやらない訳にもいかないので、その穴を僕が埋めています。
そもそも僕がこの仕事の代理をこなすようになったのは、別の班で僕が同じ仕事をしているからでした。
その理由で真っ先に周囲から押し付けられ、僕やサボりと同じ仕事をしている他の人に分担を頼んでも、
「やらないそいつが悪いから」と言って、手伝ってくれません。確かに正論ですし、その人は決められた仕事をこなしている訳ですから、責めようとも思いません。
かといって、誰もやらなければ周りが困るので僕がやっている訳ですが…
でも度々代わってくれる人がいるのが救いです。
いつもこうでした。
誰もやらないから自分がやる。
誰かがやらないから代わりに自分がやる。
でも穴を埋めるのを放棄したら、罪のない人達が困るし、どこかで誰かがやるしかない。
人任せにしていたら誰もやらないか押し付けられるので結局自分がやる。
正直もう嫌です。
人生、損な役回り、ハズレくじばかりでした。
他の人も同じ境遇だけど、自分だけが辛いと感じてしまっているだけかもしれませんが…
それでもこんなのはもう嫌です。
先生も手に負えないのか、事実上放置状態です。
もう疲れました。
何故「どうせ誰かがやるから」という奴だけ辛いことを避けられるのでしょうか?
そして何故周囲の人々が上のような人の尻拭いをしなければならないのでしょうか?
人生においての公平は難しいですが、
こればかりはあまりにも不公平です。もう嫌です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたはそのまま「賢者」であれ
こんにちは。
大変な仕事をやらない人の代わりにやるって立派な事ですよね。えらいです。
法句経(お釈迦さま真理のことば)に
「まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遇うことがある。しかし悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遇う」
「まだ善の報いが熟しないあいだは、善人でもわざわいに遇うことがある。しかし善の果報が熟したときには、善人は幸福に遇う」
「『その報いはわたしには来ないだろう』とおもって悪を軽んずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされるのである。愚かな者は、水を少しずつでも集めるように悪を積むならば、やがてわざわいにみたされる」
「『その報いはわたしには来ないだろう』とおもって善を軽んずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされる。賢者は、水を少しずつでも集めるように善を積むならば、やがて福徳にみたされる」
とあります(中村元 訳)
大丈夫です。あなたはそのまま「賢者」であれ。
この世に生まれてくることは宝クジで100億円当てることよりも遥かに難しい事なのです。
それにあなたはアタリました。
幸運だと思いませんか?
しかも、他の人がやりたがらない仕事をするという利他行という菩薩行までできている。
とても偉いことなのです。
その努力は必ず良い報いとなって返ってくるし、悟りに一歩一歩近づくと思いますよ。
どうせやるなら嫌々やるよりも逆に積極的にやってみましょう。
ただし、一人で抱えすぎないようにだけ気をつけてね。助けが必要な時は頭を下げてでも周りに頼むんですよ。