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嘘をつく夫 改善策は

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有り難し有り難し 15

夫が大きいことから小さいことまで嘘をつきます。
大半がお金関係

家賃、光熱費、生活費の使い込みが月に1回は発覚します。
使用用途は闇金への返済
闇金から借りたお金の行方は不明です。

1度闇金への借金が原因とわかり、清算するために弁護士に依頼しました。
その際、携帯も新しく変え、別の番号にしました。
しかし、それが原因で1度職を失った際にアルバイトをして生計を立てていましたが、その際、職場の都合で仕事がなく、ほとんどシフトに入れてもらえませんでした。
その時に再度闇金にお金を借りて補填しておりました。

また、掲示板などで募集してお金を借りようとし、騙されて10万損失しました。
手法は割愛いたします。

その後も恐らく闇金へ返すために私の財布からお金を盗みます。
今回は家賃の使い込み(家賃を払ったと言って闇金に払っていた)が発覚しております。

お金を盗むこと、闇金を利用すること、そのために嘘をつくことを治させたいです。
発達系の病気ではないかと疑っておりますが、いくらかかるか、そして何より治るか分からないため、病院へは行けないままでおります。

病気と疑う理由が、私に素直に言えばなんとかなった時もあるということ
お金がないにも関わらず、不要な物を購入すること(私の服が古いから、と新しい服を買ってくる等)
などが、普通ではないと思っております。
離婚も考えましたが、小さい子供がおり、収入の関係上難しいです。

現在私はパート、夫はアルバイトの後すぐに正社員で決まり、収入は安定しております。
闇金さえやめてくれれば今後お金に困ることもなくなると思うのでどうにか嘘をやめさせたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

夫婦は隠しごとのないところまで一度追及。

話し合って給料の入金先口座をあなたの口座にして一切があなたが管理することです。
大きなお金を持つと気持ちが大きくなってバンバン使ってしまうのでしょう。
お子さんのためにもすぐにでも浪費癖をやめさせなければいけません。
今日さっそくお伝えすることです。
お子さんを優先させるかお金を優先させるか。
当然答えは一つです。
そこでしょう―もない選択をしたらあなたもいよいよ選択すべきを選択すべきでしょう。
嘘は保身のためにつくものです。
あなたから身を守るために嘘をついているとみるべきです。
最初に何かを隠しているから、どんどんうそが増えるのです。
みぐるみ全部引っぺがして一度裸にする必要があるということです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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