ネットの友達の悩み
ネット(青い鳥)で繋がった顔も知らない人が落ち込んでいると、どうにか元気になって欲しいと思います。
しかしその人のことを詳しく知らないので余計なことを言ってしまい、落ち込ませてしまうのではないか。何処の馬の骨か知らない人間にどうこう言われる筋合いはないと思われるかもしれない。経験の少ない自分には解決できないかもしれない。
要は嫌われるのが怖くて何もできません。
所詮ネットの繋がり。適当に取り繕って話すことも可能です。めんどくさくなればいつでも切れます。ですが画面の向こうにいるのは紛れもなく人間と思うと、いい加減なことは出来ません。
やはり自信がなければ、相手から相談されなければ、そういうことには触れないほうが良いのでしょうか?またどのように相手に寄り添えば良いのでしょうか?
回答お願いします。
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どんなときでも、変わらず。いつも通りが、一番だよ◎
いつも通りが、一番だよ◎
目の前で、落ち込んでいる人がいたら、放っておけないよね。あなたは、優しい人ね。
ただね、構われたり、大丈夫?大丈夫?元気出してね!って言われると、今はそっとしておいてほしいのに〜って、なるでしょ。
どんなときでも、いつもと変わらずにいてくれる友達の存在が、ありがたかったりするものです。
だから、ネットの向こうで、いつもの あなたとして、待ってあげたらどうかしら。
相手が話してくれたら、そのときは、ゆっくり話せばいいんじゃないのかな〜。
あなたの優しさ、きっと届くよ。
難しいですよね
ご相談拝読しました。
こういうのって難しいですよねえ。ネットの使い方・そこに何を求めているかって人それぞれですし、同じ言葉でも嬉しいと感じれば迷惑と感じる人もいる。正解はないでしょう。
でもさくらさんが「どうにか元気になって欲しい」と感じたその気持ち。伝えてみたらいいんじゃないでしょうか。受け入れられなかったらそれまでと受け止める勇気を持ってね。
おっしゃる通り、「何処の馬の骨か知らない人間にどうこう」言われたら反発してしまうのが人間かもしれませんね。
だから「こうした方がいいよ」「ああしたら?」ではなく、「心配ですよ。」「大丈夫ですか?」「(相手が悩んでることに)そうなんですね」ぐらいのニュアンスかなあ…。
それをも受け付けるタイミングの時と、そうじゃない時が人にはある。違ったら今じゃなかったか…と受け止めるしかない。
相手に「寄り添う」ってよく私たちも言うけど、私たちは相手の気持ちがわからない以上、私たちはどこまでも想像してやってみるしかない。
相手のことを私が分かるのでもなく、ましてや認めるのでもない。
「苦しいんだね、辛いんだねと」相手が悩んでいることを相手が認められるよう一緒になって頷く。
そこが共有出来たらその先に「相談」というステップが待っているのかもしれません。
これ、私もいつもhasunohaで失敗しています…お互いに頑張りましょう。
してあげるんじゃなく、したいからする、そこに相手の立場への想像を限りなくはたらかせる。
それしかないのかなあと私も自問自答しています。
質問者からのお礼
吉武 文武さん
回答ありがとうございます。
人それぞれって難しいですよね…。対面であれば表情や声音などから察することができますが、ネットとなるとそれもできません。
少しずつ相手を理解していくしかないのですね。
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中田 三恵さん
回答ありがとうございます。
「いつもと変わらない~ありがたい」確かにその通りだと思います。
でも本当に助けて欲しい時ほど何も言えないことがあるので、待ちの姿勢も難しいところです。