許すということ 手放すということについて
自分の信念としている事の一つに、どんな理由であれ女性に手をあげては ならないと昔から思っているのですが、付き合い始めの頃に一度、そして、最近二度目になりますが湧き上がる怒りに自分を抑えきれず再び手をあげてしまいました。。
付き合い始めの頃から前の恋人との事を 何かあるのでは?と疑われ続け、邪な目でしか見ない、言葉なんて、なんとでも口では言えると真摯に話しても、どう伝えても深い信用を得る事はありませんでした。
なぜそこまで最初から疑わしく人を見るのか当初は理解できませんでしたが十代の頃から、愛人、不倫、浮気などが彼女の恋愛と呼べるのかわかりませんが、ほとんどだったようです
申し上げておきますが、あなたは悪くない的な言葉が欲しい訳ではないのです、むしろ、なんであれ手をあげてしまった自分に全面的に非があります。結局この事で破局となるのですが、彼女の側には激しい憎しみを残すだけの結果となってしまいました。
翌日、激しい憎しみのメールを何通か受けとったのですが、その瞬間から毎日、日常では起こりえないような不幸や災いが身の周りに降りかかっています。
(具体的な例は省きます)
決して、自暴自棄な行動を取っている訳でもなく、むしろ慎重に行動してるくらいだし、直接的な嫌がらせを取られている訳でもありません。
彼女の強い憎しみがそれらを引き寄せてると判断することはできないけど、あまりにもタイミングが重なり過ぎてて、全てが偶然とも思えず、何か意味のある事のような気がします
過去にも彼女の恨みを買いこんな感じで不幸になった男が何人かいると言っていた彼女ですが、そんな事は、本当に起こりうるのでしょうか?
自分がした事が原因で因果応報として悪い事が起きても、それは受け入れていこうと思うのですが、彼女もこちらの事を知れば、ざまあみろ!いい気味だ!と思うかも知れませんが、決して幸せになることとは別問題の気がします。
友人レベルの助言だとお祓い行った方がいいよなどと言われそうですが、、
それよりも、これからの自分の心の置き方をどう考えたらよいのかを教えて頂きたいのです。。
反省なくして成長はないと思いますが、それも過去への囚われなのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
具体的な例は省きます
あなたの傾向の核心は、この「具体的な例は省きます」にあるように思います。これこそ、「起きていることではなく、評価=我見のみを出す」思考ですよ。
あなたは言葉で自らを縛るのがお好きなようです。「どんな理由であれ…しない」「彼女の怨みを買い、不幸になった…」は、ストーリーに自らを合わせてゆく(=意味づけしていく)という行為です。自分も採用していることだから、他者のそれにも乗りやすい。目標をたて、努力していくといった場合には有用なやり方ですが、その時でさえ、「自らを縛っている」事に変わりありません。
あなたのポリシー自体を否定したりはしませんが、「なぜ、それをポリシーとするに到ったのか?それを守り続けることによって、あなたは何を得るのか?」に目を向けることをお勧めします。万が一、女性が危険物を持って突進してきても、おとなしく刺されますか?彼女を犯罪者にしないために止めますか?それとも、自分を守るために拳を振るいますか?きっとあなたのポリシーは、バージョンアップの時を迎えているのです。
ともあれ、あなたは思慮深い方、優しい方とお見受けします。彼女にも過去があって、それゆえ今の彼女になっていること。自分なりの芯を持とうとしていること。他人の話に耳を傾けること。自らは因果応報と言いながら、彼女の幸せを考えていること。
「受け取らない」の、私が持っているイメージはこうです。
時々、街でカップルが痴話げんかしていますね、人目はばからず。見たくもないでしょうけれど、「ああ、バカとか言ってるな」くらいは耳に入るでしょう。それに近いです。
A「バカ!」 B「バカって言いたいんだね」 それが、受け取らないです。
B「何だと!」と言ったら、受け取った証。アドレナリンが大放出。同じ土俵に乗ったのです。
よく、子どもが大人のお尻を触りに来ますが、「やめなさい!」は受け取り、「お尻が好きなんだね(はぁと)」が受け取らないです。
練習してみて下さい。しかし、ここぞ!という時でないと、嫌われる元にもなります。
(付けたりです)
返信、拝見しました。人は不毛な可能性に対してでも、一度繋がりを持つと断ち難いものです。不思議ですがね。そして、彼女とは別れたい/別れたのか、ちょっと心配になりました(お答えの必要はありません)。
我見で物事を捉えない
あなたは、物事を我見で捉える癖が強いように思います。ご自分で思い描いたシナリオ通りに事が運ばないと感情的になり、人のせいにする。
まず、問題を起こしているのはあなたの中の話。どんな事が起きても、その事をそのまま受け取れば怒りにはならない。彼女はあなたの事を信用したい気持ちがあったのでしょう。だからこそ、どうしたら信用できるのかわからずあなたに強い言葉で迫ったのでしょう。
「あなた」というものを置いて捉えると、「彼女に嫌味を言われた」となり、イライラするのでしょう。
そうした我見を捨て、そのままを受け入れる事が大切です。白黒をつける事をやめ、好き嫌いで物事を見る事をやめ、目に見えない責任の追及をやめ、事実に徹してください。思いは自然に起きますが、それを取り扱わないで、見てください。こうした生き方が坐禅という事になります。
質問者からのお礼
邦元様
回答ありがとうございます
我見とは偏見と同じようなものでしょうか? 自分の過去の経験をもとにそのフィルター越しに見てしまうような
その我見の強さ、私は邪見だと勝手に呼んでいましたが、その偏った物の見方、一方的な考え方で決めつけられてしまうことが3年の付き合いの中で一番苦しかったし打開をして変えていきたかった部分でもあります。
読んでみて、前半部分は彼女へ
後半部分は、私に説いてくださってるような、そんな気持ちになりました。
悪口や罵倒は受け取らなければ本人に還る 他のお坊さんが書いたお話を読みましたが、確かにその通りだと、でもそれができればどんなに楽だったかと 実際の私が必死になってまくし立てて
する意味もない弁明みたいな姿を思い出すと、、自分の未熟さに苦笑いしてしまいます。。 そんな境地とは程遠い処におりますが、変えていければ、その未熟さも伸びしろということでしょうか? 座って何が変わるの?とも思いますが体験してみなければわからないことですし、期待をしすぎるのもいけないと思います。ありのまま、ありのまま、、でも、変えたい(笑)
ありがとうございます
佐藤良文様
回答ありがとうございます
具体的な例を省いたのは、最初は書いたのですが文字数が足りず書ききれなかったので省略しました。
ポリシーの是非、必要性を指摘されましたが、人としての良心というか、法律以外に自分を律するものとして、私はいい加減な人間ではありますが、いくつか持っているものです
(結局、破ってしまいましたが)
力や体格に勝る者が弱い者に対して
暴力で解決、我を通すことは卑怯だと自分は考えるからです。書かれている極端な場合は確かに例外ですね
恋人などとの口論や痴話喧嘩の場合でしょうか、それも書くことは省きました。受け取らないこと、間に受けないことが肝要だと不毛な傷つけあいの経験から、その通りだと自分も思い、ひたすら実践はしてきましたが、飼っている生き物を殺されたり、言葉だけとはいえ怒りと憎しみの感情のまま夜通しの暴言と悪態、思い出したから、そんな気分だからといった理由で何度でもそれを繰り返されて、ありもしない事を決めつけてかかられ、人格から何から否定されることを受け流すにも理解に努めるにも、表現はそんな形でも、その裏にある彼女の不安や寂しさを汲み取ろうにも、限界はあると思います。少なくとも未熟な私には限界がありました。千文字で全て説明する文章力も持ち合わせておりません。 言い訳を書きたいわけでもないのですが、そんな内容に見受けられると思いますので、これで筆を置きますが、こんな私の質問でもキチンと回答を頂いた事に感謝したいと思います
ありがとうございます。
追記になります
具体的な例は
連日、オーダーストップ前に売り切れていた店なのですが、週末でもお客様が1人で終わったり、軒並み予約がキャンセルされたり、誤認逮捕されかける、給湯器が壊れ風呂に入れなくなる、ボヤ騒ぎが起きる、、こんなことが連日起きたので、偶然なのか不思議に思った次第です。
先程、とっとと金払えと連絡がきました。言われる額を払って終わりたいと思います。
彼女の土俵に自分から降りたのは
それは間違いありません。