人は死んだらどうなるのでしょうか?
よく人は死んだら魂が切り離されて天国か地獄に行く、とか三途の川だとか、自殺者は存命時よりも深い苦痛を味わうだとか色々言われますけれど、、、
結局人は死んでしまったら一体どうなってしまうのでしょうか?
分かる方、教えていただけたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お釈迦様に同じ質問をした弟子が居ます
さととん さん こんにちは
シマダイッセイと申します
「人は死後、どうなるのか?」
実は、お釈迦様に同じ質問をした弟子が居ます
それに対してお釈迦様は答えます
「たとえば、こう考えてみなさい。
突然、あなたの体に毒の塗ってある矢が刺さったとする
その時あなたは解毒剤を探したり、撃った犯人を捜す前に
先ず、その矢を引き抜くだろう?」
…という答えでした。
有名な「毒矢のたとえ」と呼ばれるお話です
色々な示唆に富んだ話で、様々な解釈を引き出せるのですが
つまりお釈迦様は「死んだ後の事より、今を考えなさい」
と諭しているのです
毒消しの治療をするのも、誰が撃ったのかを考えるのも後にして
まず毒矢を身体から抜く。
有るかどうかも定かでない死後の世界を思うよりも、
生命ある今日・現在を生きることを考えなさい
というわけです
…ここまで読んで頂いて、ひょっとしたら さととん さんは
話をそらされた、はぐらかされた、と感じるかもしれません
もっともな話です。私もここで書いていて、そう思います
実は、お釈迦様は問答の答えをする時に沈黙して答えない事もありました
これは「答えなかった」のではなく「沈黙が答えである」という意味合いで
「無記(むき)」と呼ばれます
お釈迦様は数千人から数万人の弟子を抱えていました
お釈迦様の弟子たちは、その教えを正しく習得するために
弟子同志で質問をし合い、互いの間違いを正す
「問答」という事を日常的に行っていました
その教団を運営する中で、いくつかルールを設けたわけですが
そのルールの中に「決着がつかなそうな議論・問答は止めなさい」
というのがありました
毒矢のたとえ に話を戻します
この毒矢のたとえの物語の中で、弟子の「死後の世界」の質問が
「あるかどうかわからない死後の世界」についてだったので
お釈迦様は「沈黙が答えである=無記」という返答をしたのです
…長々と語ってきましたが、これは死後の世界に関する
一面的なお話にすぎません
もちろん「お釈迦様は死後の世界は無い」とは言っていませんし
hasunohaの別のお坊さんの答えが、私のモノとは大きく違う
事もあります
是非、他のお返事もお読みになり、考えてみてください
それでは、失礼します
これからの人生を
拝読させて頂きました。
私達はこの世に生を受けて生きている中で様々なことを思いそして行いをします。
その中で善き心がけで善き行いをしていったならば苦しみないところに導かれていくでしょう、逆に悪しき思いや悪しき行いを繰り返して罪を重ねていくならばその悪業により深い苦しみを背負い続けることになるでしょう。
それは原因があり自ずと結果がそうなるからです。
どんなに黙って隠していたとしても悪しき思いや犯した罪は自分が覚えておりますし、誰かが必ずご覧になっておりますからね。
私達の考えの及ばない様々なつながりの中で必ずつながり続けているものです。
仏様がお教え頂きました仏教の教えは
あらゆる悪い行いはやめましょう
あらゆる善き行いを心がけ行いましょう
自分の心を正しく清らかにしましょう
それが仏のお教えです
そして仏様は必ずや私達を仏様の元に導いて下さいます。
自ら犯した罪を心から反省して誠心誠意仏様に懺悔し、そのような悪しき行いを慎むよう心から反省して、どうか仏様私をお救いくださいお導きくださいと心から仏様にお願いし、南無阿弥陀仏とお念仏おとなえなさるならば仏様は必ずや仏様は私達を救い導いてくださいます。
そして間違いなく仏様の極楽浄土に導いて下さいます。そこでは一切の迷いや悩みや苦しみはなくなります。
そして仏様からの教えを受けて真理を悟り成仏させて頂けるのです。
仏様は全ての方々を救い導いて下さいます。
あなたもどうかこれからの人生や生活を心清らかに正しく生きて下さいね。
あなたがこれからの人生を正しくお健やかに生きていかれますようにと心から仏様にお祈りさせて頂きます。
南無阿弥陀仏 合掌
仏さまに導かれる
さとさん、はじめまして。質問を拝読しました。
さとさんは、人が死んだらどうなるのかについて知りたいのですね。
仏教では十三仏信仰があります。
人が亡くなると旅に出るといわれています。旅に出るにあたり、1人旅でどこへ向いて歩いていけばいいのか、何をすればいいのか分からないので13人の仏さまが導いてくださるといわれています。
故人は初七日に不動明王と出会います。炎を背負った不動明王に守られて一週間を過ごします。
二七日に釈迦如来と出会い、仏教入門を許されます。
以降、詳しくは書店で十三仏信仰や供養の本、私の新刊『人を想うこころ』に書いていますのでご覧ください。