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読経の際に…

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有り難し有り難し 14

世間知らずの無知な若者です。

父の実家では父が生まれる前から仏壇があり、父が引き継ぎ将来は私が仏壇を引き継ぐ予定です。
また、物心がついた頃(おそらく1歳頃)から法要などには参加しており、周りに比べると仏教に関わる事は多いとは思っております。

お世話になっているのは曹洞宗のお寺です。

話は変わりますが先日祖母を亡くしました。
その時のお通夜・葬式で住職さんが読経なさってくださいました。
私達も一緒に読経しました。

お恥ずかしい事ですが、未だにお経を理解できておりません。
それでもわからないなりにも有り難みは大変感じています。

読経の時にいつも何か込み上げるものがあります。

祖母の葬儀であったからではなく誰の葬儀・法要であってもいつもそうです。

理解していないお経を読んでいるだけなのにいつもこうなります。

私の心の中に何かあるのでしょうか?

伝わりにくい質問で申し訳ありません。

2015年11月10日 12:37

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

読経とは非日常的な儀礼行為

亀山純史と申します。
数か月前に、「葬儀のお経」という題でのご質問が、このハスノハに寄せられ、多くの方による回答がなされました。その時のご質問には、私は回答をしてはおりませんが、今回、らるさんのご質問が目に留まり、読経に対しての私なりの回答をさせていただければと思います。

さて、らるさんは「わからないなりにも有り難みは大変感じている。そして、読経の時にいつも何か込み上げるものがある。」とのことですが、それは、読経という行為が、非日常的なものであるからだと思っています。読経は非日常的なもの、まさに「有ることが難しい」ものでしょう。よく、「内容がわかるようにと、現代語訳でお経をあげたら、有難みがなかった。」という話を聞きます。それは、非日常的な行為が日常的な行為になってしまったからだと思います。そして、読経とは、所謂、説法や法話とは異なり、一種のルーティン化した行為、つまり儀礼行為です。儀礼ですから、「そうすることに意義がある。」というものです。

整理をすれば、読経とは非日常的な儀礼行為であるため、それは普段の生活や日常行為からかけ離れた行為であり、それは「そうすることに意義がある。」という行為であるために、読経を通して、多くの人は、らるさんのように有難みを感じ、何かこみ上げるものがあるのだと思います。

これからも仏教とのご縁を大切になさってください。

2015年11月11日 22:32
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有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...

あなたの我を通した思いが表に出てくるのでしょう

私も僧侶でありながら、涙を流したことがあります。
感情的になりお経を中断してしまったことがあります。それは、死について頭で考えていたからでしょう。
お経をあげつつ、死ということは、悪いこと悲しいこと辛いことと決めつけていた部分があり、そうした捉え方を考えでしていました。
人前で涙を流すのは良くないことだと自分で決めていたので、その時は自分でも驚きました。しかし、冷静に後で考えてみると、やはりそこに、自分というものを置いて死について考えていた部分があります。

実際「死」とは誰にでも訪れる「生」と変わらないことだということです。お経の力というよりは、そうした死に対する思いが表に出てくるのだと思います。

2015年11月11日 22:14
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

お二人ともありがとうございました。
回答を読んで少し気が軽くなったようにも思えます。
これからも仏教との縁、お経を大切にし、人生を歩んで行きたいと思います。

「お経・経典」問答一覧

【プロフィール参照】お経をあげる意味について

最近、疑問に思っていることがあり各ご僧侶様のご意見を頂きたく質問させて頂きました。 まだ小学校低学年の頃から、30年以上前に亡くなった曾祖父に会いたがったり、誰に教わるでもなく仏像をねんどで作ったり絵に描き起こしたり何かと仏教とご縁のある身なのだなとありがたく思っております。 大学でも仏教学部に在籍していたこともあり学問的な仏教にも大変興味があります。 この1か月間で無量寿経、薬師経、阿弥陀経、般若心経等、10以上の真言、経典を読んでいました。 釈尊の言葉をまとめたものがお経なのであれば、なぜ葬式や法事であげるか少し理解できずにおります。教えを書き起こしたもの(学校でたとえるならば教科書でしょうか)を故人にあげる意味とはどういうことなのでしょうか? ある本には六道の中で人間界でしか仏教を聞く事ができないと書いてありました。 人の思う天国も六道では天界というところだそうですが、苦しみもあるとのことでした。 葬式や法事等であげるお経は人間界でしか学べぬ仏教を、故人にもその教えをお経として聞かせ参列している人もまた教えを一緒に聞く、という意味合いなのかなと解釈しております。。 菩薩や天部のエピソードは多少脚色されたものもあるのかもしれないなと物語として楽しく学んでおります。 また各浄土にいらっしゃる仏様それぞれが得意とする分野をお持ちですが(薬師如来なら無病息災や病気治癒など)、病気になった時はお薬師様、強い心を持ちたい時はお不動様などそれぞれの仏様に拝んでもよいのでしょうか? 全ての仏様のお師匠様が阿弥陀様ということを本で見かけましたので基本的に元をたどれば一つであると考えればどの仏様にお祈りをしてもよいのかなと、、 仏様のご利益は願って叶うものではなく、願ったのち自身が前を向き努力した時にそっと後押しをしてくれる存在と最近は思います。 ご僧侶様のご回答ご意見を、宗派関係なくお聞かせください。 ※曾祖父時代は浄土真宗、現在は真言宗ですが私自身はどの宗派も元をたどればおおかた同じと思っておりますので気に入った仏様や宗派を勉強しているようなかたちです。

有り難し有り難し 72
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