人を傷つけようとしています
こんばんわ。いかにも罰当たりなことをしようとしておりますので、アドバイス頂けると幸いです。
私には付き合って1年半になる彼女がいます。
最近ふとしたことで価値観の違いから雰囲気が悪くなり、彼女との関係に疑問を持ち始めていたところ、先日10年前の元彼女と再会する機会がありました。私に彼女がいることはしらないままです。
私は10年前、その元彼女が愛しくて仕方がなかったのですが、若さゆえか上手くいかず振られて別れてしまいました。しかし、10年ぶりに会ってみると昔とは全てが異なり、すぐに打ち解け、男女の仲になりました。
さらに最低なのは、私はその元彼女が愛しくて仕方がないのです。まだ付き合う関係ではありませんが、次に会うときには真剣に告白したいと思っています。今の彼女はまだ私を信じているにも関わらず…
彼女と以前(関係が悪くなった後)おみくじをひくと、私のおみくじの戸内せんけんをたもつ?の項に「家に美人を入れて公表するのは節操のないこと」のような忠告が書いてあり、元彼女とひくと、その元彼女のおみくじに「人に騙されないように」というような忠告が書いていました。そのお詣りの際、ずっと元彼女と入られるようにお願いしました。
悪いこととは思いつつ、私は今の彼女を振ろうとしています。元彼女への気持ちが押さえられないのです。しかも、この出会いは元彼女との出会いのきっかけになった、今は亡くなった恩人が引き合わせてくれたのかも、という気がして仕方がありません。
彼女の気持ちを思えば、私は罰当たりで最低な男です。何を言われても構いませんので、お坊さんのお叱りや見解をお願いしたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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事実と向き合う
ん~どうでしょう。「私は罰当たりで最低な男です」と言いながら、そんな反省を見せているようなご自身に酔っているところはありませんか?自分を責めるという形での自己肯定。
文章からそんな印象を感じてしまいましたが、見当違いでしたら申し訳ありません。
まあしかし、「人を傷つけようとしています」とは言いますが、じゃああなたは傷つけないと思えば傷つけないでいられるのでしょうか?自分を好いてくれた相手を振ることは相手を傷つけることになるでしょうが、それならと自分を好いてくれた人全員とお付き合いするわけにもいかないでしょう。
男女の仲に限らずとも人間は生きてる限り意識的・無意識的に関わらず誰かを傷つけるところがあるでしょう。
これは、それならしょうがないから傷つけてもよいという話ではありません。
傷つけてしまう自分を責めてなんとなくそれでごまかしながら済んでいくのではなく、傷つけてしまう事実と向き合い引き受けていく。
今回であればきちんと今の彼女さんと向き合う事でしょう。自分を責めればそれでいいのではなく、相手がいる事ですから、振るなら振るで、きちんとその事実と相手と向き合っていく。
独りよがりの反省ではなく、相手や出来事と向き合う中でそうした人を傷つけてしまうような自分の身の事実を突きつけられる。
そこに仏教で言うところの
慙愧(ざんき):罪を恥じる。内に自ら恥じ、他に向かってあらはに恥じる。人に恥じ、天に恥じる。
懺悔(さんげ):罪過を悔いてゆるしを請う。あやまちをありのままに謝る。忍ぶ。
といった精神がはたらいてくるのではないでしょうか。
単なる自己反省と、自己(我見)を超えたところからの反省の違いです。
元彼女さんとお付き合いなさるのでしょうから、今度は大事にしてください。お幸せに。
質問者からのお礼
回答、ありがとうございました。
申し訳ない気持ちを真摯に持ち、彼女ときちんと向き合ってみたいと思います。