hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
そらノート 亡くなった人やペットに思いを伝えよう hasunoha姉妹サイト登場

“今・ここ”を生きると言うこと。

回答数回答 2
有り難し有り難し 32

いつも質問・回答をありがたく拝見しております。
私は今を生きることを意識しており、こちらのサイトで様々な仏教の考え方を知り、自分の理想としている生き方に近いものを感じて共感する部分が多く、もっと教えを学んでみたいと思っている所です。

私が普段意識していることを具体的に挙げると

「目の前のことに集中する」
過去や未来を悩むより、今、やるべきことをやる
今、目の前の人、環境、あるものに感謝する。

「その時その時の感情を、否定せずに味わう」
ポジティブな感情はもちろんですが、ネガティブな感情も、抑えようとするから苦しいのではないかと思っており、「今、自分はネガティブになっている」「ネガティブになるのも仕方ないよ」と、受け入れるようにしています。

「まずは自分を大切にする」
気が進まない事をしなければならない時、深呼吸をしたり、コーヒーを飲んだり、とりあえずトイレに行ってからにする等、まずはその場その場の自分を整えてから行動をする、ということを意識しています。

「できないことはしない」
時間がない、能力がない、できないものはできないので(笑)今の自分にできることを、できる範囲でやることを意識しています。

私の今のこのような考え方は、自己啓発系のたくさんの本を読んできて、自分が良いと思ったものだけを集めたものです。
私は元々とても落ち込みやすく、自己否定ばかりして生きてきたのですが、このような生き方を意識することで、比較的穏やかな心を保てるようになってきました。

いつか自分が様々な考え方を勉強して穏やかになれたように、学んだ考え方を何らかの形で発信して、誰かの心を軽くできたらと考えています。このような行動は仏教でいう自利利他に当たるのかと思う反面、ただの押しつけや自己満足の偽善行為ではないかとも思い、迷ったりもしているのですが…。

前置きが長くなりましたが、質問です。
お坊さまは「今・ここを生きる」とは、どのような生き方だとお考えですか?私は穏やかに生きるヒントは「今」にあるのではないかと考えています。仏教的視点、個人的意見、どちらでも構いませんのでよろしければ、お聞かせください。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「三時門破」

ゆき様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「今、ここ」とよく耳にしますが、厳密には、仏教では、龍樹大師の根本中論における「三時門破」でも示されますように、「今、ここ」も実体として存在するわけではないため、あまり、それに囚われすぎるのもよくないことになります。

まあ、「今、ここ」と言ったすぐの瞬間には、その「今、ここ」は既になく、私たち凡夫では、それは直観(現量)によっても認識、了解できないため、実際に捉えることも難しくあります。

では、過去、現在、未来も実体としては無いものの、どのように捉えるべきであるのか、となれば、それは「縁起」として捉えることになります。

「縁起」とは、簡単には、全ては、他に縁って起こるとして、他に依存して成り立っており、そのもの単独において、独立自存にて実体的には成り立ってはいないということになります。

より分かりやすくには、因縁(原因と条件)の流れによって成り立っているものであるとして、仏教では時間というものを考える際にも、この因縁の流れを重視して、行いを調えていくべきであるというものとなります。

善い因縁を調えることによれば、善い結果を迎えることができるようになるとして、善い因縁を調えることを考えて実行していくことが大切なことになるのであります。

世間的な幸せとなるための因縁は、まあ、それなりに自己啓発系の本を読めばヒントはあるでしょうが、仏教の目指す、悟り・涅槃という究極的な幸せを目指すための因縁となれば、やはり仏典を頼りとして調えていくことが望まれることになるかと存じます。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1600件を超えました


川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

他は是れ我にあらず,更に何れの時をか待たん

 道元禅師が中国で修行していた時のこと,食事の準備をしている老僧に遭いました.暑い中でキノコを干している老僧の姿を見て,道元禅師は話しかけました.

 道元「あまりにも大変そうなので,誰かに手伝わせてはいかかでしょう」
 すると,老僧は次のように答えました.
 老僧「他は是れ我にあらず」(他人ではなく,自分がやることに意味がある)

 さらに道元禅師は尋ねます.
 道元「もっと涼しい時にやってはいかがでしょう」
 老僧「更に何れの時をか待たん」(今やることに意味がある)

 この老僧とのやり取りを通じで,道元禅師は修行というものを理解できたとのことです.これは『典座教訓』という書物にある一節ですが,宗派を問わず,仏教一般にも通じる教えだと思います.我々の生きている時間は飛びゆく矢よりも速く,命は露よりも脆いものです.そんな状況下では,我々はいつ死ぬかもわかりません.だから,やるべきことは後回しにせず,今すぐやらなければならないのです.
 仏教徒であれば,今すぐ覚りを得たいという心を起こし,三宝に帰依して修行していかなければならないのです.なぜなら,今我々の生きている環境は,仏教に出会える大変貴重な機会だからです.この機会を逃せば,次いつ人間界に生まれ,仏教に出会えるかわかりません.仏教に出会えなければ覚りも得ることはできないのです.
 一般社会でも同じように思えます.仕事に関していえば,今自分がやっている仕事の大半は,他人でもできるでしょう.自分がいなくても,社会は何ら問題なく回っています.しかし,全く悲しむことではありません.そういう社会だからこそ,「今」,「私」がやることに意味があるのです.
 

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1600件を超えました


質問者からのお礼

川口英俊様 
お礼が遅くなって申し訳ありません。回答ありがとうございます。
「今、ここ」といった瞬間に「今、ここ」はない。ハッとしました、確かにその通りです。自己啓発本だけを読んで、分かったような気になっていて少し恥ずかしいです。あまり「今」に囚われ過ぎないよう、善い縁起を整えるような行動を意識してみたいと思います。ありがとうございました。

賢宗慈海様
お礼が遅くなって申し訳ありません。回答ありがとうございます。
確かに、何事もこの機会を逃せば次いつ人間界に生まれ、経験(勉強)できるか分からないですね。「典座教訓」のお話を教えていただき、ありがとうございます。お話の老婆がもし自分だったら、「どうして私が1人でこんな暑い時にやらないといけないんだ」と思ってしまいそうです。どのような事にも当てはまりますね。迷った時や疑問を抱いた時は、「今、私がやることに意味がある」を思い出そうと思います。ありがとうございました。

「今を生きる・自分の生き方」問答一覧

私の命の使い方

22歳、今年大学を卒業したばかりです。 学生の頃、私は大きな夢や野望をたくさん持っていました。また、それと同時に、自分の置かれている立場や住んでいる場所、全てに不満を抱えていたのです。卒業してすぐに、家族の反対を押し切り以前からずっと憧れていた街に飛び出しました。しかしそこでの暮らしは思い描いていたものとは大きく異なり、鬱のような状態になった私はすぐに実家に帰ることになりました。そして家族の有り難さにようやく気付いたその頃から、私の中の一部がまるで他の人と入れ替わってしまったような気がするのです。以前は猪突猛進でやりたいことに向かって後先考えず進むような性格だったのですが、そんな人格はどこかへ消えたかのように、家の中に引き篭る生活を何ヶ月も続けました。その間に段々、叶えたかった夢のこともどうでもよくなりました。家があること、母のご飯を食べられること、ただそれだけで幸せだと思うようになったのです。自分の目的の為なら家族や親友を犠牲にしても良い等と言っていた私が突然そんな風に変わったのですから、両親も驚いていました。 そして非正規ではありますがやっと仕事も見つかりました。それは学生時代、就活中に友人が馬鹿にしていた職種であり、当時の私自身もそんな仕事をすることは永遠にないと思っていました。けれど、この度のことで自らの愚かさや傲慢さに気付いた私は、誰もが憧れるような仕事をしたいという欲を捨て、自分でもできることをやっていこうと思い直したのです。何も出来ない、資格も無い私には元々そんな生き方がお似合いだったのかもしれません。 最近はよく「自分の人生なのに何故そんなに他人事でいられるの?」「若いのに何故もっと頑張らないの?」と言われ、色々と考えてしまい疲れます。 周りの友人は、今も目標に向かって頑張っています。しかし私はそれを見て焦るということもなく、このままでいいと思うのです。少しのお金を稼ぎ、適度に趣味も楽しんで、家族と平和に暮らしていきたいと思うだけです。とにかく今は、家族に恩返しがしたいです。それ以上のことは望みません。 私の考え方は間違っているでしょうか? 目標も夢もない人生を送るのは、せっかく与えられた命を無駄にしていることと同じなのでしょうか?

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

親の言う通りに努力したら失敗

私はオールAの成績を取っても親から「学校のレベルが低いのに何、もっと頑張りなさい」 90点でも「10点たりない」 コンクールで日本一になっても「ただの学生レベルにすぎない」と言われてきたのが印象に強く残っています。 常に「二度と間違えないようにしなさい」 「再発防止策を考えて紙に書け」 「改善策を考えて紙に書け」 と言われて、言う通りに努力しました。 「人の生きる道を教えるのが親の仕事であり、それでないと子どもは犯罪者になる」と言われてきました。 ただ、間違いの起こさない人間などいなかったようで、全ての悩みに改善策を書き出そうと、図書館に通い文献に当たりながら、子どもなりに最善を尽くしましたが、考えすぎて、脳疲労で幻聴が聞こえるまでになり、それで薬を飲まされると、眠くなるし、体も動かなくなり、10年以上半分寝たきりです。 問題を二度と起こさないようにしようとするのをやめる、 対策を立てないのが対策だったのでしょうか? 悩みは解決しなければならない決まりは無かったのでしょうか? もしかして、成長しようとするのをやめたら、考え事のしすぎで脳が疲れるのは治るのではと思います。 幸せの青い鳥は、青い鳥を探す必要などなく、最初からここにあったのだという結論です。 マインドフルネス瞑想をしているのですが、思考によって解決するのではなく、思考により答えを探し求めなくとも最初から安らぎはここにあったのではないかと感じるようになりました。 10代半ばから半分寝たきりのため、一般教養がありません。 私はずっと、自分を適性のある仕事につけて、成長させ、失敗しないよう努力するとか、人間や社会や自然の仕組みを知ればもう困らないのではないかとか…そう考えてきました。 適性は見つかってきました。 ただ、教養をやり直すかと考えた時、こんな調子で、中年になっても老人になっても改善策のため努力するより、何も知らない自分、人間も社会もわからない自分のまま、再発防止策の探究に没頭するのをやめ、周りの事も見たら、トラブルも減るのではと思っています。 自分の世界に入り込んで常に考えるのをやめれば、教養の勉強にまたのめり込むよりいいですよね? もしかして幸せの青い鳥は勉強の先にあるのではなく、最初からここにあったのではないかと思うのですが…

有り難し有り難し 29
回答数回答 2

病気だらけの人生。私に出来ることは?

私は生死をさまようような病気をはじめ、大小様々な病気を30種類以上してきました。病気だらけの人生です。 まず7歳で年齢的には珍しい病で開腹手術をしました。その時にある病院では「うちでは助かったケースはない」と言われましたが、転院先で手術は成功。生き延びることができました。 しかし、その後、お腹の中で溶けるはずの糸が傷口から飛び出てきて、ピンセットで引き抜くような痛い思いもしました。 その手術との因果関係は不明ですが、小3から内臓疾患になり、乗り物酔いや吐き気に悩まされました。 中学から離人症になり、突然、夢か現実か分からなくなる精神疾患になりました。 小中と心身の病があり、学校を休みがちでした。 勉強は好きで自宅学習をしていたので成績は良かったのですが、逆に災いし、酷いいじめにもあいました。 後に不登校を乗り越え教員となります。 高校からは新しい内部疾患になりましたが、明るく前向きな気持ちで過ごし、楽しい学生生活でした。 大学卒業後は教員になりました。教え子から麻疹がうつり、42度の熱が1週間続き、生死をさまよい、母に育ててくれた感謝の言葉を述べ、死を覚悟しました。 後遺症で記憶力の低下があります。 その後、仕事や介護、家業の手伝いなどがプレッシャーとなり、20代後半で双極性障害(躁鬱病)になりました。 家族の癌が発覚、ショックで寝たきりの鬱になり、車椅子生活でした。転院の末、徐々に回復し、家族の介護を行い見送ることができました。 双極性障害は重症化し、今では数日おきや一日の中でも躁鬱の波に苦しんでいます。 数年前に私の心身の病気を理解してくれる夫と結婚できたことが、人生最大の幸せだと思っています。 子供が欲しいのですが不妊治療が必要で、心身の持病が悪化する可能性があり、迷っています。 自分の子供を産みたいので養子は考えていません。 小さい頃からほぼ毎日のように病気に振り回されてきましたが、なんとか生き延びることができているのは有り難いです。 同じ病気の人の為になれたらとSNSもやっていますが、あまり共感を得られず、考え方や書き方に問題があるのかと落ち込みます。 なぜこんなに病気の多い人生なのでしょうか? 誰かの役にたちたいです。 私は何を学び、何をする為にいきているのでしょうか? 人生の指標を探しています。

有り難し有り難し 22
回答数回答 2

自分の障害と生きづらさ

私は昔から、短気な性格でした。怒ると歯止めがきかなくなるところはずっと自覚していました。 この性格で苦しみ出したのが、彼氏ができるようになってからです。付き合う人に対して悲しさや怒りを感じると歯止めが効かなくなって、自分でも怒っている時は記憶がなくなるくらい罵倒したりしてしまっていました。その彼からは拒否されるような形で振られてしまい、その後自分は何をしたんだろうと強い自己嫌悪に陥り、自分の存在価値を見失ってしまい、鬱病を発症してしまいました。 その後、こんな私でも大切に思ってくれる、将来のことを考えてくれる素敵な人と出会い、同棲をしました。この人とならずっと一緒にいられる、いてもらえると思っていました。 でも、同棲生活が長くなり私自身も知らぬうちに彼に甘えてしまっていました。段々彼に対して不満を感じた時に止まらない怒りが爆発して彼を傷つけてしまいました。 彼からもう別れた方が良いと提案され、私は全てを失った気がして、強い自己嫌悪に陥っています。 前は鬱病というだけで向き合えませんでしたが、自分は境界性パーソナリティ障害なのではないかと、自分自身も家族に相談しても思っており、治療をしながら原因も病気と分かり、彼とやり直せたらと思っております。 しかし、彼は別れた方がいいという考えで、病気だとなかなか理解してもらえず、性格だと思っています。私が納得するまで急に離れたり拒否することはないから安心して、とは言ってくれますが、同棲解消で付き合いは続けるなど色々提案しても、自分の思っていることや気持ちをうまく伝えてくれず、ずっともどかしい状態が続いています。 彼が居なくなるならば、私はやっと自分と向き合い気づけた障害にも、もう立ち向かって努力できる気がしません。少しでも彼の存在を感じてたい、努力して、癇癪を起こしたりしない想ってくれてたときの自分に戻り、それから彼に別れるかの判断して欲しいと思うのは、わがままなのはわかっていますがどうしたらいいのかわからなくて辛い気持ちのままです。 別れたいと思わせるような事をしてしまった自分自身が嫌で嫌でたまらなく、人を傷つけてしまう自分に今すぐ死んでしまいたいとずっと思ってしまいます。 どうしたら私は病気と立ち向かい、彼に理解してもらえますでしょうか。今は自傷行為をしてしまい死にたくてたまりません。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

過去の過ち これからの生き方

何度も、質問してしまいすみません。そして数ある質問の中から私の質問を見つけてくださりありがとうございます。 以前質問した私の過ちに対して有難いお言葉を頂き自分の犯した過ちと向き合って同じ過ちをもう二度としないと心に誓っています。 今まで私は、過ちを犯した人間なので一生幸せになることが出来ない、なってはいけないと思っていました。一時期は、もう生きてちゃダメなのかなとも思っていました。ですが、少し前に母と喧嘩した際初めて大喧嘩をし、その後仲直りする時私は大号泣してしまったのですが、初めてその時母も泣いていて泣きながら私を抱きしめてくれてくれてこんなにも愛されているんだととても感じました。また、喧嘩した時パニックになって祖父や祖母に助けを求めた時沢山心配してくれていて私をこんなにも愛してくれている人がいるのに死のうと思っていたこと、生きてても楽しくないと母の目の前で言ってしまったことに対し、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。母が一生懸命産んでくれた命なのに、あんなことを言ってしまってとても後悔しています。その後から、こんな私ですが、私を愛してくれる人もいるということに気づくことが出来、幸せになってもいいのかと思ってしまいました。私は自分のことが嫌いですが自分自身を愛してもいいのかなと思ってしまいました。嬉しいことがある度私なんかが幸せを感じていいのかな、なんて思わず、純粋に幸をを感じでいいのかなと思ってしまいました。 読みづらい言葉使いですみません。 そこで、質問なのですが私はこれから過去に過ちを犯してしまった人間ですが、幸せを感じて生きてもいいのでしょうか。 幸せになってもいいのでしょうか。 自分をすきになってもいいのでしょうか。 長々と書いてしまいすみません。最後まで見ていただきありがとうございます。

有り難し有り難し 20
回答数回答 2

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る