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“今・ここ”を生きると言うこと。

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いつも質問・回答をありがたく拝見しております。
私は今を生きることを意識しており、こちらのサイトで様々な仏教の考え方を知り、自分の理想としている生き方に近いものを感じて共感する部分が多く、もっと教えを学んでみたいと思っている所です。

私が普段意識していることを具体的に挙げると

「目の前のことに集中する」
過去や未来を悩むより、今、やるべきことをやる
今、目の前の人、環境、あるものに感謝する。

「その時その時の感情を、否定せずに味わう」
ポジティブな感情はもちろんですが、ネガティブな感情も、抑えようとするから苦しいのではないかと思っており、「今、自分はネガティブになっている」「ネガティブになるのも仕方ないよ」と、受け入れるようにしています。

「まずは自分を大切にする」
気が進まない事をしなければならない時、深呼吸をしたり、コーヒーを飲んだり、とりあえずトイレに行ってからにする等、まずはその場その場の自分を整えてから行動をする、ということを意識しています。

「できないことはしない」
時間がない、能力がない、できないものはできないので(笑)今の自分にできることを、できる範囲でやることを意識しています。

私の今のこのような考え方は、自己啓発系のたくさんの本を読んできて、自分が良いと思ったものだけを集めたものです。
私は元々とても落ち込みやすく、自己否定ばかりして生きてきたのですが、このような生き方を意識することで、比較的穏やかな心を保てるようになってきました。

いつか自分が様々な考え方を勉強して穏やかになれたように、学んだ考え方を何らかの形で発信して、誰かの心を軽くできたらと考えています。このような行動は仏教でいう自利利他に当たるのかと思う反面、ただの押しつけや自己満足の偽善行為ではないかとも思い、迷ったりもしているのですが…。

前置きが長くなりましたが、質問です。
お坊さまは「今・ここを生きる」とは、どのような生き方だとお考えですか?私は穏やかに生きるヒントは「今」にあるのではないかと考えています。仏教的視点、個人的意見、どちらでも構いませんのでよろしければ、お聞かせください。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「三時門破」

ゆき様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「今、ここ」とよく耳にしますが、厳密には、仏教では、龍樹大師の根本中論における「三時門破」でも示されますように、「今、ここ」も実体として存在するわけではないため、あまり、それに囚われすぎるのもよくないことになります。

まあ、「今、ここ」と言ったすぐの瞬間には、その「今、ここ」は既になく、私たち凡夫では、それは直観(現量)によっても認識、了解できないため、実際に捉えることも難しくあります。

では、過去、現在、未来も実体としては無いものの、どのように捉えるべきであるのか、となれば、それは「縁起」として捉えることになります。

「縁起」とは、簡単には、全ては、他に縁って起こるとして、他に依存して成り立っており、そのもの単独において、独立自存にて実体的には成り立ってはいないということになります。

より分かりやすくには、因縁(原因と条件)の流れによって成り立っているものであるとして、仏教では時間というものを考える際にも、この因縁の流れを重視して、行いを調えていくべきであるというものとなります。

善い因縁を調えることによれば、善い結果を迎えることができるようになるとして、善い因縁を調えることを考えて実行していくことが大切なことになるのであります。

世間的な幸せとなるための因縁は、まあ、それなりに自己啓発系の本を読めばヒントはあるでしょうが、仏教の目指す、悟り・涅槃という究極的な幸せを目指すための因縁となれば、やはり仏典を頼りとして調えていくことが望まれることになるかと存じます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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他は是れ我にあらず,更に何れの時をか待たん

 道元禅師が中国で修行していた時のこと,食事の準備をしている老僧に遭いました.暑い中でキノコを干している老僧の姿を見て,道元禅師は話しかけました.

 道元「あまりにも大変そうなので,誰かに手伝わせてはいかかでしょう」
 すると,老僧は次のように答えました.
 老僧「他は是れ我にあらず」(他人ではなく,自分がやることに意味がある)

 さらに道元禅師は尋ねます.
 道元「もっと涼しい時にやってはいかがでしょう」
 老僧「更に何れの時をか待たん」(今やることに意味がある)

 この老僧とのやり取りを通じで,道元禅師は修行というものを理解できたとのことです.これは『典座教訓』という書物にある一節ですが,宗派を問わず,仏教一般にも通じる教えだと思います.我々の生きている時間は飛びゆく矢よりも速く,命は露よりも脆いものです.そんな状況下では,我々はいつ死ぬかもわかりません.だから,やるべきことは後回しにせず,今すぐやらなければならないのです.
 仏教徒であれば,今すぐ覚りを得たいという心を起こし,三宝に帰依して修行していかなければならないのです.なぜなら,今我々の生きている環境は,仏教に出会える大変貴重な機会だからです.この機会を逃せば,次いつ人間界に生まれ,仏教に出会えるかわかりません.仏教に出会えなければ覚りも得ることはできないのです.
 一般社会でも同じように思えます.仕事に関していえば,今自分がやっている仕事の大半は,他人でもできるでしょう.自分がいなくても,社会は何ら問題なく回っています.しかし,全く悲しむことではありません.そういう社会だからこそ,「今」,「私」がやることに意味があるのです.
 

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

川口英俊様 
お礼が遅くなって申し訳ありません。回答ありがとうございます。
「今、ここ」といった瞬間に「今、ここ」はない。ハッとしました、確かにその通りです。自己啓発本だけを読んで、分かったような気になっていて少し恥ずかしいです。あまり「今」に囚われ過ぎないよう、善い縁起を整えるような行動を意識してみたいと思います。ありがとうございました。

賢宗慈海様
お礼が遅くなって申し訳ありません。回答ありがとうございます。
確かに、何事もこの機会を逃せば次いつ人間界に生まれ、経験(勉強)できるか分からないですね。「典座教訓」のお話を教えていただき、ありがとうございます。お話の老婆がもし自分だったら、「どうして私が1人でこんな暑い時にやらないといけないんだ」と思ってしまいそうです。どのような事にも当てはまりますね。迷った時や疑問を抱いた時は、「今、私がやることに意味がある」を思い出そうと思います。ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ