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世俗諦即勝義諦と最終的基体(dhātu)の関係について

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ここにいらっしゃられる、とあるお坊様のwebサイトを読ませて頂いている者であります。
以前、私の仏教哲学への偏見や誤解が過ちであったと気付かせて貰う経験をさせて頂いた時から、
より仏教、特に原子仏教の教義への関心を持ち始めたこの頃であります。
最近では某様のサイトを読ませて頂き、私の様な凡夫でも僅少ながら仏教哲学や用語などの意味を把握する事が出来ました。
某様には本当に感謝しております。
勿論ネットでは知る事が出来る情報が限られていますので、これからは原本や学術書を読まなければならないと思っております。

最近、世俗諦即勝義諦が最終的基体(dhātu)を思想に含むという可能性がある、
という記事を見かけ大変困惑している次第であります。
具体的に世俗諦即勝義諦が最終的基体をどういう風に含むのかという解説は記述されておりませんでしたが、
私のような素人にしては訳も分かりません。
「空」による徹底的な実在否定が為されてきた中観思想の教義の頂点とも言えるべき勝義諦に、
果たして絶対的な実在・自相を持つ本質体としての最終的基体(dhātu)を思想に組み込む余地があるのでしょうか?

また、如来蔵思想と非常に近しい阿頼耶識・唯識思想でも最終的基体(dhātu)を想定しているのでしょうか?

私は皆様の様に粉骨砕身する程仏教について勉強した事の無い矮小な若造でありますし、
正直この様な質問をさせて頂く事にさえ抵抗を感じました。
本来なら身を削る思いで体得する知識を、ネットで安易に答えを求めると云う怠慢こそ煩悩の一つでは無いかとさえ思われます。皆様の仏教について勉強する上での指針、心構えという物を教授願っても宜しいでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「世俗諦即勝義諦」について

akbcde様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お読み賜りました記事は、恐らくこちらでございますね・・
http://goo.gl/HeaM5r

まず、「基体(dhātu)説」は、駒澤大学・仏教学部の教授、松本史朗先生が提唱された説として、広く一般的に認められている、知られている学説ではないため、普通の方にはあまりなじみがないのではないかとは存じます。詳しくには、先生の著書・論文をあたられて下さい。

さて、拙生が懸念しておりますことは、「世俗諦即勝義諦」、あるいは、「無明即明」、「煩悩即菩提」、「生死即涅槃」も同様の事態を示している言葉となりますが、単刀直入に申しますと、これらの表現の理解においては、誤解による弊害が生じやすいため、その内容の理解について、慎重であるべきであるということでございます。

「世俗諦即勝義諦」などの理解のポイントは、「仏眼に映えている世界観のこと」であるのか、あるいは、「凡夫、修行未熟なる者に映えている世界観のこと」であるのか、それをしっかりと意識して考えていかなければならないというものとなります。

「基体(dhātu)説」を含むかもしれないという懸念は、つまり、上記のことを意識せずに、安易に、「世俗諦即勝義諦」、「無明即明」、「煩悩即菩提」、「生死即涅槃」という言葉が示すあり方へのとらわれが生じてしまうことで、「基体(dhātu)説」と同等の誤りへと陥りかねないということでございます。

問題は、それらの言葉の状態を理解する私たち凡夫における側が孕んでいる諦執(実体としての顕れであるというとらわれ)になります。

その諦執(大まかには、煩悩障と所知障)がある限り、「基体(dhātu)説」と同様の誤解の域に留まりかねないというところでございます。

例えば、「空」、「勝義諦」という言葉は、仏教における最高真理を示そうとする言葉の一端となりますが、その言葉が最高真理であるわけではありません。その示す先へと実際に仏道修行を通じて行かなければならないのでございます。「空」も「勝義諦」も、実体としてあるものではないということですが、それらを実体視するとらわれが、「基体(dhātu)説」と同様の誤解に陥りかねないという次第でございます。

制限字数の関係上、とりあえずはここまでにて失礼致します。

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

質問者からのお礼

私の様な未熟者にも丁寧な講話を賜わっていただき、心から敬服致します。
私のような凡夫と川口様を比べるつもりではありませんが、
川口様の真摯な姿勢を見習い、私も日々精進させて頂きたいと思います。
回答有難う御座いました。

「仏教全般」問答一覧

仏教とは?

こんにちは。私はとある信仰宗教の元信者です。その宗教ではその宗教のお経を毎日よんで、法名といわれるものをおさめ、つどいと称される会合に参加し、弥勒山という山に登ります。勧誘してきた人は私の20年来の付き合いのある方で、その信仰宗教をとても心から信じていました。しかし、私はこの信仰宗教に違和感を感じていました。職場の方に話してもら辞めた方が良いという回答でした。また、旦那が私には居ましたがその宗教を毛嫌いされ、彼の親族にも激怒され縁をきられてしまいました。私は今実家で幸せに暮らしています。仕事も頑張って居ます。勧誘された方は癌で若くして亡くなりました。彼女は最後までその宗教を信じていましたが、私も彼女もそのお経を毎日読みましたが、私は離婚し、彼女は命を失いました。これのなにが幸せなんでしょうか。私には弟が居ます。まだ若くこれからどうなるか分からないですがきっと結婚するだろうと思います。義理の妹は果たして私の事を理解してくれるかと不安になり、檀家になってるお寺のお坊さんに相談しました。その方は瞑想会をしていて、瞑想すると涅槃の境地に近づけるとの事で、私は毎日するようになり、瞑想会にも参加するようになり、元の信仰宗教は辞めたい。と彼女の旦那さんや支部長に言って辞めさせていただきました。しかし、彼女には本当にお世話になったし、お経を読まないと瞑想出来ない脳になってしまったので、辞めてもお経は読んでいるし、彼女のお墓にお墓参りに行こうと思っています。信仰宗教で出会った方々とはまだLINEで繋がっています。このままいくとまた、戻ってしまうかどうか心配です。私は幸せになりたいからやってるんではありません。ただ、お墓参りして、お経読んで、瞑想して、線香あげて。私は仏教なんて全然知りません。お経の意味も分かりません。でも、これから勉強したいと思います。信仰宗教であげてるのは簡易なもので独自の解釈がされていて本質ではないと思います。瞑想の檀家のお寺のお坊さんも良い方ですが、わたしが涅槃までいけるかどうかは分かりません。こんな私は社会から見ておかしな人間なのでしょうか?仏教ってなんなんでしょうか?お経読む事でしょうか?墓参りする事でしょうか?瞑想する事でしょうか?私は宗教を理由に仕事休んだ事はありません。信仰宗教勧誘は一度しかやった事がなく、家族からも止められてるので今はやってないです。

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最後の言葉「ありがとう、また会おう」

長文で失礼致します。 急ぎの相談ではありませんので、お時間のある際にお話いただければ幸いです。 もう1点、伺いたいことがあるのですが、お坊さま方もお忙しいと思い、別の機会にさせていただきます。 父親のいなかった私たちを、親代わりになって育ててくれた祖父が先日他界しました。 母や叔父と叔母にとっては、優しくも厳しい一面もある父親だったそうですが、孫全員には優しく頼もしく接してくれて、「いい思い出」しか残っていません。 ここ数年は持病が悪化し、コロナ禍ということもあり、楽しみにしていた大勢で食事を楽しむ機会を設けれなかったことだけは心残りです。 入院先の配慮で、最後にお話をする機会があり、駆けつけた祖母・母と叔父・叔母、孫全員と話をすることができたのが幸いです。 「遅くまでいると迷惑がかかる」と祖父に促され、亡くなる前日の別れの際にかけられた言葉が印象的でした。 「じーちゃんが死んだ後、コロナが収まったらな、ばーちゃんに会いに行ってやってくれ」 最後まで祖母を思う優しさ、そして。 「ありがとう……また、会おう」 この言葉は、もしかすると生きて会えるのは最後とわかっていて、「来世」でまた会おうという意味だと私は受け取りました。 葬儀をお願いした元々ご縁のあるお寺のご住職も、「今の別れは、ゆくゆくは浄土で再会するまでの一時的なもの」とお説法をされていたので、受け取り方は違ってなかったのかなと思うのですが、いかがでしょうか?

有り難し有り難し 12
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初めて知った事に対して、怖いです

三尸(さんし)とは、道教に由来するとされる人間の体内にいると考えられていた虫。三虫(さんちゅう)三彭(さんほう)伏尸(ふくし)尸虫(しちゅう)尸鬼(しき)尸彭(しほう)ともいう。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる。 日本では平安時代に貴族の間で始まり[1]、民間では江戸時代に入ってから地域で庚申講(こうしんこう)とよばれる集まりをつくり、会場を決めて集団で庚申待をする風習がひろまった。 道教では人間に欲望を起こさせたり寿命を縮めさせるところから、仙人となる上で体内から排除すべき存在としてこれを挙げている ウィキペディアからコピーさせていただきました。 こちらの文章を読んだ上でご質問させていただきます。 質問ですが・・、本当に3匹の虫が体の中に入っているのでしょうか? とある小説でこのような事を知りました。 正直、今までこんな事知らなかったので、怖いです。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられと wikiに書かれていますが・・・、 寝ないで1日越した方がよいでしょうか?あまりいい気分がしないので教えていただけると嬉しいです・・。 お坊さんの方々もこの日は何か特別な事はやってらっしゃるのでしょうか?

有り難し有り難し 15
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