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怒りが収まらないし自分も情けない。

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友人についてです。

友人は約束を忘れたり、私との予定が入っていたのにも関わらずほかの予定を入れドタキャンをしてきたのでメールで怒りを表したところ、連絡をしてこなくなり、ほかの友人に言ってみたところ、距離おこうとしてるんだよと、言われましたが、それは私が怒ってるということから逃げたってことですよね?めんどくさいからとかそんな理由なのかなとか思うと怒りがもっとこみ上げてきます。なぜ面と向かって対面できないのか情けないなぁなど、本当に思います。

そんな事にいちいちイライラしてる自分にも自己嫌悪をしてしまいます。他に今まで一時的に友人だった人たちは口を揃えて「私さんがいてよかった!」などと言いますが離れていきました。離れるなら言うなよとも思います。それに「去る者は追わず来る者は拒まず」という人ほど私から離れていきます。
じゃあ言うなよと思います、この前まで普通に話してたくせになぁとか、私が子供なのもわかるんですけどとてつもなく裏切られた気分になります。こんな私はどうしたら傷つかずにすむのでしょうか。

ほんとに、責任を持たないのに重い言葉使う子に呆れます。ほんと気軽に…
もう人間というものに関わらない方がいい気がしてきますよねこんな私みたいなのは。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

文字で怒りをあらわすならば直接言葉で。

怒りのエネルギーはただでさえ誰もお目にかかりたくないものです。
それがさらに文字化すると「残り」ます。
メール文化が進んでいるとはいえ、人間の会話、コミュニケーションの基本は「直接」です。
直接でない会話は暖かくないものです。
ここでもこれは文字です。
文字トークを見直してください。
文字トークがコミュニケーションであると錯覚している現代人のこの感覚を見直してみましょう。
文字トークで片づけようとしていること自体、その友達との関係も冷たいままに決まっています。
さぁ、直接お話ししに行きましょう。
切り出す口調は
「怒るためでもなく、ケンカするためでもなく、友だちでいたいから直接話に来た。」
文字のトークは誤解を生みやすいものです。
私は親友であれば誤解が生じたならすぐさま直接対話か電話ですが。
え?できない、というのであれば、そもそも会話・対話の姿勢を見直すべきなのではないでしょうか。
私たちは言葉を発することができる血の通った生身の人間です。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

拝読させて頂きました。
そのような無責任な人は他でも同じようなことを繰り返しているでしょう。ですから人と長くお付き合いできないでしょうね。
その人が今までの自分の言動を心から反省なさり改めなければいつまでたって正しい人とのお付き合いはできないでしょうね。

あなたは今様々な方々とのお付き合いを通して人としての生き方を学んでおられる途中にあるのです。今あなたが置かれている状況で適度な人とのお付き合いや距離感を試行錯誤なさりながら習得なさっていらっしゃるのです。
同様に周りの方々も学んでいらっしゃる最中です。

まずは感情的にならずに穏やかに人コミュニケーションをとることが大事かと思います。そして周りの方々を冷静に観察するも大切なことです。

どうぞあまり感情的にならず振り回されることなくゆっくりと皆さんとお付き合いなさって行って下さいね。

あなたはこれからも素晴らしい出会いに恵まれていくのですからね。

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おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

Aazuma様

暖かいお言葉ありがとうございます。
これからはできるだけ冷静に物事を見れるようにしたいと思います。

丹下様

回答ありがとうございます。
これは記述をしなかった私が悪いのですが、まず会えない状況でしたので直接話すということができませんでした。(いつもだったら直接対話してます。でも多分ですけど現代の子はそれをすると離れていきますね、めんどくさいようで…。)
最終的にメールになってしまいましたが返信すらないのでもうこの関係は終わったのでしょう。

しかし、なぜこの話をするとほとんどの人が私が悪い様に言うのか分かりません。
こちらとしては裏切られた気持ちでいっぱいだというのに。まぁ主観の話なのでほかとは違うんでしょう。
お礼に書くべきではないのでしょうけど、私にとって、食事にさそわれる事、仲良く人と話せることって、泣けるくらい嬉しい事なのです。人とこ関わってなかった人生なのでそのせいかもしれませんね。こうやっていざ人が離れていくと人1倍気にしてしまうのです。
生きずらいなぁ

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