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何が幸せなんですか?

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お世話になっております。
昔から貴女は幸せだと言われても幸せだと思えませんでした。どうしたら幸せだと感じられますか。この悩み、悩めることも幸せなんですか。なにが幸せなんですか。幸福感の追求も煩悩ですか
例えば小学生の時、UNICEFの募金活動を見ても、「自分が死ねばアフリカの子供は長生きできる」と母に言って叱られた思い出があります。幸せだから、自分は不幸だ、死んでいい人間だと思ってはいけないのですか…?
よく思い出せば4歳くらいから人に気遣いをして生きてきました。が、それが原因とは考えられません。いつも何かしらの理由をつけて自己完結で悩まないようにしてますが、いつも考えてしまいます。単純に経験不足で、年数を積めば自ずと理由をつけて消える悩みかもしれません…。はたから見て嫌な質問してごめんなさい。大分お世話になっているので、この質問で最後にします。しかし20うん年生きてきて一番の悩みなんです。ご回答のほどよろしくお願い申し上げます。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

幸せと感じることに生きる価値を求めない

亀山純史と申します。「何が幸せなんですか?」とのご質問ですが、人生で大切なことは、幸せと感じることでも、幸せを追い求めることでもなく、この掛け替えのない「いのち」である自分自身に向き合っていくことだと思っています。

幸せは形あるものではないので、千差万別です。仕事に生きがいを見出し、仕事をしているときが幸せだと感じる人もいますし、仕事を終えての一杯がこの上なく幸せだ、と感じる人もいるわけです。ですから、幸せについて、「(あなたにとって)何が幸せですか?」という問いも生まれてくるのです。ですが、「幸せと感じること」に生きる価値を見出すことは、それは不安定な土台の上に、自分の人生を築きあげるようなものではないでしょうか。そして幸せになることに生きる価値があるとしたら、不幸だと感じる人生は、生きる価値が無い人生なのでしょうか。不幸も幸せと同じく、千差万別です。低賃金のもとでの労働、震災で身内を失ってしまうこと、人間関係に恵まれていないと感じること、等々、数限りなくあります。そして、誰にも不幸と感じることは大なり小なり持っているものだと思います。

「生きる」ということは、仏さまから頂いた掛け替えのないこの「いのち」である自分自身に向き合っていくことだと思っています。自分自身への向き合い方は、宗派によって異なります。座禅を通して向き合う人、または私のように、念仏を通して向き合う人など、そのやり方は様々ですが、自己に向き合うことでは一致していると思います。そして、そのようにして自分自身と向き合える時間が、私にとっては幸せと感じるひと時です。

以上が私からの回答です。少しでも青うめさんのお役に立てれば幸いです。

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おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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「幸せ」は自分には分からない

こんな話があります。

【にわとりの卵の幸せは何ですか?】
次の四つの問いから選びなさい。
①目玉焼きになること
②ゆで卵になること
③スクランブルエッグになること
④雛になること
この問いの答えは「卵」自身には分かりません。
この問いの答えを知っているのは親鳥です。
親鳥は当然④を選びます。

私たちは卵のような存在なので、何が幸せかなんて分かりません。
分からないから、とりあえず快感を得られることを幸せなことだと定義づけて生活しています。
しかしいくら快感を得ようとも満足しませんし、むしろ飽きてしまい、また別の快感を求めていきます。
つまり「快感を得る=幸せ」でないことを知らされます。
私たちはいくら考えても「幸せとは何か」は分かりませんから、それを知っておられる方に聞かねばなりません。

ここからが宗教の話です。
仏教において誰に聞けばいいのか、それは「仏様」です。
この世にお出ましくださった仏さまはお釈迦さまであり、そのお釈迦さまの説法がお経です。
そのお経の中でお釈迦さまは「仏になりなさい」「仏になる道を行きなさい」と勧められます。
だから私はお経から「幸せ=仏になること」だと聞かせてもらっています。
私は幸せになりたいので、仏教を信仰しています。

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おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...
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「死なないで欲しい」という意味でしょう。

自分は不幸だ、死んでいい人間だ、などと言われたら、あなたの親しい人々は、あなたに死なれたくないから、「何言ってんの、幸せじゃないの」と言うのです。
つまり、「私はあなたに死んで欲しくない」という意味で言っているのです。
あなたの周りの人は、幸せとは何かとか、そんな問答をしたいわけではなく、あなたが漂わせている危うさに心配させられるのが嫌なだけでしょう。
「あなたは幸せだ」は、「心配させるようなことを言わないで」という拒否反応の場合もあるでしょう。
身近な人が不幸だ不幸だという顔をしていると、周囲の人も晴れ晴れとした気分になれないので。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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20うん年来の悩みなら

「端から見て嫌な質問して」などと、自分の評価を添えて出すことはありませんよ。
実際、「幸せとは何か」は、問いを出すに足ることだと思います。だからこそ、何人もが「お答え」をしているのです。
 アフリカの子どもの話は、(その当時は精一杯考えた答えだったとしても)大人になったあなたがご覧になっていかがですか?例えば、テレビで同じ発言をしている小学生を見かけたら。「私もそう思ったんだよ。」の次を。
 「アフリカの子どもの飢えを救うために、それは一つの方法かも知れないね。けれど、他にないかしら。元気になったアフリカの子と、一緒に遊べる方法を考えてみない?」と、「自分が退席する」以外の方法を考えようとしませんか?

 あなたの歴史について、私なりに勝手なストーリーを考えてみました。
 4歳頃は、好奇心が旺盛で、何を見ても不思議、何を見てもやってみたい、貪欲に外界を吸収する時期だと思います。しかし、「人に気遣いをしてきました」。好奇心のままに行動すると、良くないことが起きるのではないか?親が困惑するようなことを、聞いてはいけないのではないか?…そんな決断をした可能性があるように感じます。
 「自己完結で悩まない」は、そんな「好奇心の封印」という感じを受けるのです。
 好奇心は、試行錯誤と一体です。ですから、「単純に経験不足」…これも、誰かに指摘されたのではありませんか?…におちいる。
 で、4年生頃に、久しぶりに「アフリカの…」を自分で一生懸命考えたら、全否定された。「やっぱり、自分で考えた事は言わない方がいいのだ」と、思いを強化してしまったのではないかしら。
 私が思うに、その時の、「あなたは(日本に生まれて、ご飯も食べられて)幸せなんだから、そんな事言うんじゃないの」という言葉は、発した方の「私が一生懸命育てているんだから、死ぬなんて言わないで」という思いからの、でも「アフリカの子たちについて、何か大人として言わねばならない」という苦しさ半分から出た言葉ではないかと推察します。
 よくありますよね、小さい子が大人を問い詰めて、ギブアップさせちゃう話が。
 だから、「幸せとは何か」を考える時、その4年生の会話は具体例から外して良いのだろうと思います。ただ、長い間の習慣で、「幸せ」という言葉に過剰反応してしまう。
 何か、思い当たるところはありましたか? 続きは、またの質問で。

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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