hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

姉が嫌い

回答数回答 1
有り難し有り難し 22

姉が嫌いです。
自己中でヒステリックで内弁慶家族にとっても迷惑をかける。許せないんです。

縁を切りたいでも、助けられた事もあるからと些細な迷惑に耐えてきました。
でも、そんな些細な迷惑が積み重なり自分の睡眠に影響がでる実害をこうむりいちいち姉の言動に腹が立ってしまう

両親は「姉はヒステリックの病気だから…」と裏で愚痴をいうばかりで放置。
でも実際に病院に行ったことはないんで病気かどうかはわかりません。
注意したら確かに逆ギレをして話にならないので我慢するしかない。

そんな今の状況に耐えられません。
できるのとならば縁を切りたいけど現実的に考えてそんなことできない…今後も姉の自己中な行動に振り回され寝食を脅かされるのかと思うと辛くて辛くて…
ここで実害の例をだしたいのですがありすぎてぼんやりとした相談になってしまいました。

今回とくに許せなかったことが、
姉を私(一人暮らし中)の家に泊める際に条件をだしました。①私が仕事の前日は21時頃には帰ってくること②泊まる際は合鍵を母から借りること
①は仕事のとき6時おきなので22時には就寝していて、物音に敏感なので夜中には帰ってこないでという意味の条件
②は合鍵を常に渡すと部屋を好きに使われてしまうのでその防止のため
そして了承してくれたのですが、早速約束を破られます。

遊んでいて終電を逃し夜中2時に帰ってきてたたき起こされる。合鍵は私が仕事休みで家にずっとといると勝手に思い込み借りてこない。貸した自転車はタクシーで帰宅したので駅の駐輪場に忘れ置いたまま。そして一切の謝罪なし。

どうか姉への心の持ちかたを教えてください。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

雪ダルマつくろう~♪ 共通する苦労⛄を感じ取って共感を。

そうですか。エルサお姉さまがノースマウンテンに行きっぱに。終電乗り過ごして挙句の果てには、この世も家庭も借りてる部屋の空気まで凍り付かせているのね。
でも大丈夫よ、アナ。
今週末は雪がふるっていう話よ?
そうよ、雪だるまよ。雪だるま!
あの頃に戻って雪だるまを作るのよ!
窓もドアも、扉も開けて~、少しも寒く…☃寒いわ。

こじれて凍り付いた兄弟姉妹の関係はなかなか修復しずらいものです。
結論は姉妹共通のオラフ人形を感じ取ることです。
酷い兄弟姉妹になると日本刀で刺し殺したりとか…ひー。昨日の事件もおそろしいですね。
同じ母から生まれたものの、現実では実際に仲がうまくいかない姉妹兄弟は結構あるもんですよ。結婚なんかしたらモー大変。🐄ろくすっぽに口もきかなくなります。
私も結婚後は兄弟のバランスが崩れたのを感じました。
こう考えてみましょう。
兄弟というもんは、必ず一度仲が悪くなると。
いや、でもそれは仲が悪いんじゃなくて、仲が良かったピークが一度あって、そこの記憶が強くあるから、そうではなくなると、どんどんさびれた感が出てくるのです。
それは仲が悪くなったのではなくて「お互いに自分にとって生きていくうえで大事なものを見つけた」という❝共通の価値❞なのです。それがオラフが象徴するものだと思いましょう。
本当はこの世が絵にかいたような楽園・天国・浄土・極楽・ドバイみたいだったらみんな苦労しません。
ところが、日本の現代はどこもかしこも非仏教的なエゴワールド。人間の我欲や自己中心。協調性はないわ、敬いや尊重、助け合い、やさしい心が無いわ無いわ。すこしも寒く…寒いです。凍り付いてます。ぶっちゃけ、あなただって「エルサが、エルサが」言ってますが、そこに愛や慈悲の心の栄養が足りないらこそ相手のこと悪く言うばっかりで自分に余裕もゆとりもアラジンなのです。
お姉さんばかりが悪いのではないと思います。
あなたはあなたで精神的な向上を求めていくことです。
お姉さんはお姉さんでいいのです。
お姉さんも自分のオラフやハンス王子(ダメだろ)を探している最中と思いましょう。
日本社会では女性が一人で生きていくことは大変。
お互いに苦労というオラフも共有しているはずです。
オラフは目にみえませんが、実はそこら中に沢山共有していることの象徴です。
そこを感じ取れれば、姉を憎む気持ちは溶けます。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

確かに私も姉が嫌いと言う時、ずっと姉が姉がという思いでいっぱいになってしまいました。

精神的な向上高めていけるよう励みます。
面白い角度からのアドバイスありがとうございました!

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ