亡くなった子どものこと
はじめまして。みぃころと申します。
夫と1歳半の子どもと3人暮らしです。実は3年前にも妊娠と出産を経験しているのですが、生まれたときに先天性の障害があるとわかり、1年もたない命でしょうと医師から宣告されました。最初は受け入れられず、面会に行けなかったり、早く次の子どもを作らなくてはと焦ったりしました。でも、徐々に受け入れられるようになってきた頃に短い生涯を終えてお空に帰ってしまいました。たった4ヶ月でした。そして今いる子が二人目の子どもで、健康そのもので育っています。
出先で出会う知らない人や、一人目の子どもを亡くしていることを知らない知人など、なにげない会話のなかで「はじめての子ですか?」「一人っ子ですか?」と聞かれたときの返答にとても困ります。一人目の子を亡くしていることを話すと気まずい空気が流れて会話が止まってしまうことがあり、正直に言いたくありません。でも、適当に話を合わせてしまうと、一人目の子の存在をなかったことにしているようで苦しくなります。お空で聞いていたらきっと悲しむだろうと苦しくなります。また、健康な二人目の子どもを羨んで悔しい思いはしていないかと心が痛むときもあります。
つまらないことかもしれませんが、いつも気になってこの話をされたくないなと怯えています。気にしすぎでしょうか?
もうひとつ「賽の河原」について知りたいです。親より先に死んだ子どもが、そこで懺悔?の意味を込めて石を積むが、鬼に崩されて一生積み終わらない石を積み続けると。お地蔵さんが時々助けに来てくれると聞きました。私の子どもは障害のため指が曲がって固まっていました。石など積める手ではありません。石を積めないことで、イライラした鬼に意地悪をされたり怒られたりしていないでしょうか?体も小さかったので、助けに来てくれるお地蔵さんに見つけてもらえず、悲しい思いをしていないでしょうか?バカにされるかもしれませんが、そんなことが気になって気になってしかたありません。せめてあの世では辛いことがないようにしてやりたいと願っています。
まとまらない長文で申し訳ありませんが、心が穏やかになれる回答がもらえたら嬉しいです。お願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あの子は去っても 拝む掌の中に あの子は還ってくる
はじめまして。亀山純史と申します。
一人目の子どものことを隠すつもりはないけれども、言いたくない。それは、聞いた方も、返答に困ってしまうからですよね。私は、一人目の子どものことを絶対言うべきだとも、決して言ってはいけない、とも思いません。つまり、積極的に言う必要はないけれども、かたくなに隠し通そうとすることもないと思います。私も今年の2月に二十歳の誕生日を目前にした一人息子を、突然死で亡くしてしまいました。このことを知らない知人とかに、子どものことを聞かれると、この場で言っていいものかどうか、悩んでしまう時もあります。
亡くなったお子さんにとって、一番、嬉しいことは、いつまでもお父さん、お母さんが自分のことを忘れないでいてくれることです。静かに自分のことを想って手を合わせてくれる時間を持ってあげることだと思います。
こんな詩があります。(中西智海和上作)
『人は去っても その人のほほえみは 去らない
人は去っても その人のことばは 去らない
人は去っても その人のぬくもりは 去らない
人は去っても 拝む掌(て)の中に 帰ってくる』
この詩を基に、こんな詩を、みぃころさんのために、私自身作ってみました。
『あの子は去っても あの子のほほえみは 去らない
あの子は去っても あの子の泣き声は 去らない
あの子は去っても あの子のぬくもりは 去らない
あの子は去っても 拝む掌の中に あの子は還ってくる』
お子さんは今、阿弥陀さまの世界から、あなたのところに還ってきています。決して、賽の河原にはおりませんので、安心してください。
追記
みぃころさんへ
こちらこそ、ご丁寧なお礼のお言葉をいただき、ありがとうございました。また、何かありましたら、このハスノハをご利用ください。
質問者からのお礼
お坊さんも大切な御子息を亡くされてるとのことで、痛いほど気持ちがわかります。お辛いですよね。そんな時に私の質問を見つけていただき、丁寧な回答をありがとうございました。
二人目の子のことを、一人目の子の生まれかわりだと言ってくる人がいますが、自分は違うと思っています。それぞれ違うと思っています。では、一人目の子は今どこにいるんだろうか………。そう考えると思考がグルグルしてしまいます。でも、毎日想うことで自分の掌に還ってきてるとのことで、ホッとしました。姿はなくても自分のなかに存在してるんですね。安心しました。素敵な詩に救われました。
ハスノハで知り合えたことは、なにかのご縁だと感謝しています。今後も悩んだり、元気がなくなったときに相談させてください。お願いします。