回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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罰せられるのではなく、自分の煩悩で苦しむ
地獄というのは、場所や世界の名前というよりも、生き物の種類の名前だと思ってください。
苦痛が多い種類の生き物、苦痛が多い生き方、それが地獄。
神様や仏様が罰を与えるのではなく、自分の煩悩のせいで、苦痛が多い生き方をしてしまうということです。
煩悩が強くなると苦痛が増える。
煩悩が弱くなると苦痛が減る。
たとえば、「ニンジンが嫌い」という煩悩があると、カレーライスに出会っただけでも苦痛。
ニンジンが嫌いじゃなくなれば、カレーライスという苦痛がなくなる。
煩悩を減らしたり弱めた方が、未来の苦痛が減る。
煩悩とは、欲・怒り・怠け・プライドなど。
「嫌い」は怒りの煩悩。
煩悩を減らすためには、悪い行いを減らし、善い行いをすることが有効。
悪いことをしたから誰かに罰を与えられるのではなく、
悪いことしていると煩悩が減らない(むしろ増える)から、苦痛(地獄)から逃れにくくなるのです。
欲ばれば欲ばるほど欲ばり癖がつく。
怒れば怒るほど怒り癖がつく。
怠ければ怠けるほど怠け癖がつく。
プライドにこだわればこだわるほど、こだわり癖がつく。
それらは、悩み苦しみを増やす原因になります。
自灯明 法灯明
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
例えば、世間において悪い行いをして、法律で罰せられるのと、仏教の考える因果の流れとでは、少し性質の異なるものとなります。
前者では、仏教ではアウトであっても、全然スルーできてしまうこともかなりたくさんあります。現実上、前者では、抜け道や逃れられることもあり得てしまっています。
しかし、仏教では、そういうわけには参りません。
やはり、行いの責任は自分自身が負うことになります。そういう意味でも「自灯明」であるのであります。
その自分の行い、自分の因果の流れを清らかに、より善くに調えていくための教えが、仏教となります。
仏教を頼りとして(法灯明)、悪い行いもしっかりと慚愧し、懺悔し、悔い改めて、そして、いっそうに清らかな善い行いを調えていくならば、死後の赴きも善いものとなっていくことになります。
何も遅くはありません。思い立った今こそ、悟り・涅槃へと向けて菩提心を起こして、確かなるご仏縁と共に、仏教を修習して頂けましたら有り難いことでございます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ありがとうございました今からは良いことをして生きるように心がけます
ありがとうございました今からは良いことをして生きるように心がけます