仲の良い家族が羨ましいです
いつの間にか家族に心を開くことが出来なくなっていました。
友達以上に気を遣いあう家族に対して家族じゃなくて他人みたいだと【家族】というものが分からなくなってしまいました。気付いたら家族と一緒にいることにとても緊張し、落ち着くことや甘えることが全く出来なくなってしまいました。
長男は少しでも気に入らないことがあると歳の離れた私のことを怒鳴って叱ります。とても怖いです。
次男はお嫁さんとのトラブルで実家に帰ってきています。原因は兄で理由も最低なことでした。
父は私が高校生の頃初めて嫌なことを嫌だとはっきり言ったら親の言うことを聞いていれば良いんだと怒鳴ってきました。
母は習い事に厳しかった父に叱られて泣いている私に何も言ってくれませんでした。
怒鳴らなくても普通に注意してくれたらわかるのに、身内として恥ずかしい、私の気持ちは意見は無視されるのか、悲しかったのに声もかけてくれない
と家族に対していろんな感情がいまだにぐるぐるとまわっています。
現在は耐えられそうになく実家を出て一人暮らしをしています。親も歳なので少しは性格が変わってきているのですが(兄は変わっていませんが)、過去にあったことを思い出すたびに許すことが出来ずモヤモヤします。
虐待されたわけではないし、両親なりに愛していたのかなと理解しようと思えば理解できるのですが「愛されていた」という実感がとても希薄で過去の出来事もあり、素直に受け入れられません。
友達の家族の話を聞いたり、道で歩いている幸せそうな家族を見るとあんな風に気軽に話せるような家族になりたかった甘えてみたかったと涙が出そうになります。
今更なんでも話し合える家族になれるとは思っていませんが、時折とても悲しくなることがあります。私はどうすればいいのでしょうか?
迷い
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私も、お寺もお坊さんも家族も大っ嫌いでした(笑)
私も幼い頃、何事においてもお寺ありきの物の言いように、師父(お父さん)に対して強い反感を抱いていた時期がありました。勿論、お寺を預かる師父からすれば当然の思考なんでしょうが、自分が抱く夢や考えまでもが悉く否定されているように思えて悔しくって仕方がない。師父の意見を追随する母親にも素直になれませんでした。
「分かってくれない」「いくら言っても仕方ない」って。
お寺もお坊さんも家族も大っ嫌いでした(笑)
何事も受け身で、真綿が水を吸うような多感な時期に、幸せいっぱいの思い出が詰まっていればそれに越したことはありません。でも、なかなか現実は厳しく、親からの愛情が重荷にしかならなかったり、兄弟との確執が生まれたり、比較されることがずっと足かせになってしまったりと、人生は思うようには上手く行かない。
でも、今では師父の跡を継いでお寺を護っています。仏さまへの毎日のお給仕をしながら、法事を修したり作務(掃除)をしたり、時には檀家さんの悩みをお聴きしたりもしています。
ある時期から、私が自分の頭で考えて考え抜いて、お寺や檀家さんのことも真剣に考えてみて、その結果私の足元からスッと真っ直ぐにのびた道が仏道でした。
ほろほろさんも、一人暮らしの環境にある今、じっくりと考えてみて下さい。お家のことなど、色々とあるでしょうが、「~してくれなかった」と嘆くのは少し横に置いておいて、負の過去を払しょくするほどの気概を持って自分らしく歩める道を探しませんか。
拝読させて頂きました。
確かに幸せそうな家庭や家族の姿を見ると羨ましく思ってしまいますよね。
私もそう思います。
とはいえそれぞれの家庭や家族にも全て完璧に幸せだとは限らないですね。
どこの家庭でも大なり小なり問題や不幸や心配事を抱えているものです。表面に出て見えることばかりではありませんからね。あとそれぞれの家庭にとってそれぞれの問題や不幸や心配事はとらえ方や心のあり様にも大きく関係していると思います。
今あなたがそのように家族を感じていらっしゃるでしょうけれどもまたもう少し時が経つと違って見えると思いますし、それぞれの個人の状況も移り変わることでしょう。
何よりあなた自身がこれから変わっていかれるでしょうからね。
ですからあまりにも悲観的にとらえることでもないでしょうからね。
ご家族の方々とのご縁はこれからも続いていかれるでしょうからどうぞゆっくりと適度な距離感で付き合ってみてはいかがでしょう。
よくよく見つめなおしてみるとそれぞれに大事な家族ですからね。
質問者からのお礼
丁寧な回答ありがとうございます。
気持ちの整理がつかない部分はまだありますが、
気持ちを文にして書いてみると少し落ち着くような気がします。
家族ともほどよい距離で過ごせるようになればいいなと思っています。
ありがとうございました。