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日本の宗教者たちへの危惧 宗教心なき人間たちへの嘆き
日本の宗教者は宗教者と言いながらも人を助ける仕事をあまりしないのと違いますか。
貰うもんだけもらっといて、人を助けようという宗教心より、わがこと我がことばかりだから神道さんにかぎらず坊さんもNPO法人も福祉も医療もビジネスも政治家も相撲業界もテメーのことが一番になってしまう。
私もあなたもそういう心があると思っていた方がいいでしょう。
他人がどうこうではないのです。
自分が自分の善玉菌含有量がどのくらいであるかを自らと問うべきなのです。
モノが分かったような面をした人間ほど、ああいう事件を非難して終わるだけ。
そういう人間がTVでそれらしいことをうそぶく。
誰もあの亡くなった二人を責められる人は今の日本にはおらん。
何故なら、みんな宗教心のカケラもない人間ばかりだからです。
あったにしてもまだまだ自分のことばかり。
政治家が悪いことをしているとわかっていても、エライ人にはペコペコ。
こびへつらい、嘘、おもね、保身のそんた君のあつまりが日本人の大半であるから世の中ちっともよくならんでしょう。
あなたもここで、それを問う趣旨は何か。
初めの動機として、坊さんに何を期待しておったのですかな。
それがあなたの宗教心レベルというものです。
誰もがそうです。
人の不幸を責めるよりかは、人の不幸を教訓にしてもっと多くの人を幸せにするべく菩提心を広めなければいけない。
ところが今の日本はテレビも共謀して、あの神社は行きたくない、たたられるんじゃないか、云々。
自分たちが自分たちの国家の宗教心をここぞとばかりに相乗効果で壊そうとする。
誰も幸せになれない行為を鼻高々行為している。
そうだそうだと非難、あざけり、中傷、他人ごとにしているだけの人間に菩提心や向上心、宗教心は生まれない。
だから、世の中が良くならんのではないでしょうか。
あなたをはじめ、この問答に関心を持たれた方は、自分が他人さまの不幸の傍観者として終わるのではなく、宗教者たちですら宗教心が乏しくなっているのであれば、もっと我々も応援しなきゃならん!とみんなで世の善玉菌となるべく強い志を持つべき事態であるのでしょう。
愛をうたうより、愛を行為し、愛ややさしさを他者に願うよりは、自分が愛や優しさの体現者と鳴らなければいけない。それが神仏のへだてを超えた慈悲心というものでしょう。
あなたがこの事件を通して良き人となるのです。
「中道」
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
日本における殺人事件の55%が親族間・・
愛憎は、時に極端な悲劇を生むこととなります・・
例え肉親・親族であっても、過度に期待したりしてしまうと、期待が裏切られたらその分憎さもかなりのものとなってしまう・・まさに「可愛さ余って憎さ百倍」となるのでしょう・・
仏教では「中道」を勧めることとなります。
肉親であれ、他人であれ、誰であれども皆が幸せに過ごせるようにとしての平等を心掛けて参りたいところでございます。
川口英俊 合掌
お釈迦様は不殺生を推奨
お釈迦様は、出家在家を問わず、仏教徒には不殺生を推奨されています。
まことにシンプルながら真理をついている教えです。
自分と他人の悩み苦しみを減らすためには、世の中の殺生の発生件数を減らす方が良いでしょうし。
神道にも不殺生の教えがあるのかどうか、わかりませんが。
宗教法人は公益法人ですから、宗教法人に属するものは、基本的には国の法令を遵守すべきでしょうね。
あ、でも、日本の刑法には、殺人を犯したらどれだけの罰を受けるとは書かれていても、殺人を犯すなとは書かれていないかもしれません。