結婚、家庭のネガティヴなイメージ。
たくさんのアドバイス、ありがとうございます。
私は幸せな家庭、楽しい家庭の想像が乏しいです。
小さい頃から私は夢みたいなものがなく、漠然と夢を聞かれると「素敵な花嫁さん」といっていたような気がします。
たぶん、人の顔色を伺って行動する性格なので自分のやりたい事がわからない、やりたい事があった所できっと私には出来ないと思い込んでいたからだと思います。
結婚式で少ない予算内でしたが可愛いドレス、プロのヘアメイクで結婚式を挙げれることが出来、式場の方にも良くしてもらえて満足しました。夢が叶ってしまいました。
なんか、その後自分にとって大変な事がいろいろあり「もう、私死んでもいい人生なんじゃない?」と漠然と考えるようになっていました。死にたいとか生きてるのが辛いとかじゃなく漠然と「この先、生きていくのがめんどくさいな、必要あるのかな?」と少し前までは思っていました。
結婚するまでは大変だったけど、やりたい事をやれていた面もあり楽しく過ごせていた時間もたくさんありました。
でも結婚にあまりいいイメージがない事に気がつきました、主人には申し訳ないけど結婚をしたいと言うより、安定をしたいから結婚をしておいたと言う気分でしました。
母が私にはずっと幸せそうには見えず、母からおばあちゃんや父や親戚の愚痴、ママ友や学校行事などでのネガティヴな事ばかり吹き込まれていて、家庭を築く事にあまり明るいイメージがなく、楽しい事より不安な事の方が先に浮かんでしまいます。幼稚園を楽しみにしている姪っ子に対しても母は「幼稚園は楽しいことばかりじゃないんだよ」と吹き込んでいました。
母は結局離婚をしました。私は母ではないし、同じ人生を歩むわけではないのは分かってはいるし、母自身の性格に問題があったから幸せじゃないのもわかっていますが、不安になってしまい、無駄に構えてしまいます。
暖かい家庭ってどんな感じでしょうか?私に認知の歪みがあるのかもしれません、どう考えればいいでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
怒りのない慈悲の時間を。悪口は減らす。
暖かい家庭とはどんな家庭なのか?
暖かいとは?逆に冷たいとは?
他人に対して冷たいと感じる場合、その相手が自分のために手間ひま、つまりは時間を費やしてくれないことが多いと思います。
だとすれば、反対に、暖かくしようと思うなら、相手のために時間をかけてあげると良いのではないでしょうか?
阿弥陀仏という仏様は、量り知れない寿命を持つ仏、別名「無量寿仏」です。
生きとし生けるものを救うために、量り知れない時間を費やしてくれたり、グズでノロマな私達を待ち続けてくださる仏様です。
無量の寿命は、無量の慈悲の象徴でもあります。
慈悲とは、あわれみといつくしみ。相手の苦しみをなくしたい、相手に楽を与えたいという気持ちが慈悲です。
心のメカニズム上、慈悲は、怒りがないときにしか発生しません。
慈悲という「暖かい」心は、怒りがない「時間」にしか発生しないのです。
暖かい家庭を築きたいなら、怒っていない時間、慈悲の気持ちでいる時間を増やしましょう。
悪口や陰口は怒りを増幅させます。
結婚に対してネガティブなことを言う、つまり結婚の悪口を言う、結婚に対して怒るというのは、それ自体が暖かくないのです。
なぜなら、怒っている時間には慈悲が発生しないから。
ちなみに、私には子供がいます。
子供が言うことをきかないとき、私は罰を与えます。
その罰とは、私(キモいオッサン)の投げキッスです。
子供は、笑いながら逃げたり、投げキッスにパンチします。
怒りの時間が、暖かい時間に変わります。
質問者からのお礼
願誉浄史 様
ありがとうございます。
確かに、母の言葉は全て怒りですね。
怒ってばかりいて自分の主張ばかりだったと思います。
母も父もイメージはタバコ、パチンコ、金欠、精神年齢が低い、暴言。たぶん私が子供の頃病気だったのでタバコを吸って欲しくなかった、パチンコの時間で家族団欒がしたかった、学校のこと色々聞いて欲しかった、浮いたお金でみんなが持っているような流行りの可愛い筆記用具や必要な服を買って欲しかった、優しくして欲しかった。本当だ、私の怒りの気持ちと慈悲を求める気持ちがはっきりしていますね。
そうですね、怒っていてばかりだと誰にも優しくは出来ないですね。
可愛いお子様ですね。
お子様は小さい頃からこうやって自分のキャパを超えて逃げたくなるくらい愛されてるって分かるんですね。結婚式で泣いちゃうお父さんだ。私の理想のお父さん。
お子様が羨ましいなぁ笑
そうやって育ったら「自分は愛される人間」って身につくんだろうなぁ。
いいですね、暖かい家庭ですね。