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彼氏と別れるべきでしょうか

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有り難し有り難し 13

遠距離の恋人がいます。大学から付き合って、私が今年地元就職したため離れました。
彼は来年就職ですが、勤務地は私の地元からはさらに離れる上、一生転勤の続く仕事です。私の地元の方の勤務になることもありません。

彼は私とどうしても結婚したいのだと言っていましたが、彼自身の仕事を辞める気はもちろんなく、私が仕事を辞めることを前提にしていると思われます。私の就活を応援してくれたにも関わらず。
けれど、私は今のところ自分の仕事をやめる気はありませんし、彼の仕事に一生付いて回って、自分が定職に就けないのも嫌です。なので、現実的に結婚は難しいと思っています。

結婚できない、ろくに会えもしない相手と付き合っているのは、悲しいです。現実的なことを考え始めてから、彼とたまに会っても手を繋ぐ気にさえなかなかなれません。それで彼を傷つけていることもわかっています。

クリスマスも仕事ですし、彼と別れる未来ばかり考えているのにクリスマスプレゼントを選ぶ気にもなれません。冬期休暇も、彼と過ごす気になれません。
けれど、それを伝える決心もつきません。

不安に思うことを彼に話せばいいのでしょうが、彼は傷つくと思います。私がつらいときにたくさん助けてもらったのに、離れたら気持ちも離れるなんてひどいと自分でも思います。

また、打算的なことを言えば、彼以上に私を大切にしてくれる人は存在しないと思います。謙遜でなく私は全然もてないので、彼と別れれば一生結婚できないと思っています。

結婚はしたいです。できることなら彼と。でも、仕事はやめたくありません。勤務地も、地元であることに意味があります。長年夢見て、信念を持って就いた仕事です。どちらも諦めきれません。

どうしていいのか、まず何をすればいいのか、いくら考えてもわかりません。私はどうしたらいいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人生は実質。

「アタシの彼?いるわよ。最近あってないわね。連絡?取れないのよ。取ったらアウトなんだもの。どこに住んでるかって? …❝北❞よ。アタシだけ脱北してきたの。」
彼氏がいるっていう言葉を忘れましょう。
人生は実質です。
会えない彼氏はいないに等しいものです。
実質を大事になさってください。
甘えてみてはいかがでしょうか。
会いたいこととかを言う分には別に悪いことではないでしょう。
あなたが今相手にしているのはあなたの彼との夢物語がメインです。
あとは深くは申し上げません。
実質を大事になさってください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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