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乗りこえられない父の死

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2度めの質問になります。

11ヶ月前に父が亡くなりました(今月初めに一周忌を終えました)が、未だに父の死を乗り越えられません。

前回の質問でご供養を大切に。と言う事で、月命日にはお墓の掃除とご供養を忘れず 父への私の非道さを謝罪もしてきましたが、後悔の念や申し訳ない気もちは深くなるばかりです。

週に2、3度 父の夢をみては泣いておりますので、子供達も主人も 呆れている次第で、心のもやもやを吐き出すこともできません。
私はどうしたら、立ち直れるのでしょうか。
もう 回りに平気なフリをしているのも疲れました。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

期限を切って乗り越えられる苦しみではない

拝読致しました。

お辛い経験をなされたのですね。かなぶんさんの心中をお察し申し上げます。
貴方にとって、お父様の「生と死の境界」が曖昧なため、1周忌を過ぎた今もなお頭の中は混沌としていて、苦しまれているように感じます。
「私の父は本当に死んでしまったのか。」と問い続け、死を受け入れられない。こうしておけば、ああしていればと自分を責め続けても、その気持ちが収まることはないでしょう。

この例えが適切かどうか分かりませんが、東日本大震災で傾聴のボランティア活動をしていた頃のことです。
3回忌を過ぎた頃から、現地でお会いする被災者の方々が、当時の状況やそれから後のご様子について口を開いて下さるようになりました。それまでは、押し黙ったままただ涙を流されたり、絞り出すようにポツリポツリとお話しされたりでしたが、ある時は震災発生のずっと前にまでお話は遡り、思わず目を細めたくなるようなご家族の団欒から小さな喧嘩に至るまでをお話しになることもありました。
そして、震災当時の様子を、まるでフィルムに焼かれた映像をコマ送りにするかのように、とても詳細に、とても整然とお話しされるのです。それはこの2年の間に、自責の念や悔恨の念に苛まれながら、神経が擦り切れて心がバラバラになってしまいそうなくらいに自問自答を繰り返し、刻印のように焼き付けられてしまった光景だからなのでしょう。
淀みなく淡々と話されるがゆえに、その言葉は鋭く、ズシリズシリと私の心に折り重なっていくように思えました。

私の中では、貴方と被災地の方がダブってしまいます。皆さんが経験された悲しみは、私たちが慮る程度の悲しみではなく、「もういい加減立ち直らなければ...」などと期限を切って乗り越えられるような苦しみではありません。

私たち仏教徒は、生者必滅・会者定離という理の中で、生の対極にある死ではなくて、生の延長線上にある死を見つめるからこそ、より豊かな生を生きることが出来るのだと考えます。
お父様の死を無理に乗り越えようとするのではなく、お父様の死に貴方が寄り添いながら、共に生きるのです。
かなぶんさんが少しずつお顔を上げて、豊かな人生を歩まれることが何よりのご供養になろうかと存じます。

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初めまして。桑木茂光と申します。 大阪最北端に位置する能勢町にございます...
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父の娘であったことを誇りにする。

かなぶんさん、こんにちは。

父の思いは素晴らしいですね。
でもそれでは父は喜びません。亡くなったことをなぜ?と思うのではなく、父があなたを30数年かけて育ててくれた思いで生きるのです。親の死は親としての子供への最後の教えです。人は必ず死にます。だからそこを乗り越えて生きなさいという最後の子育てのなのです。
あなたが悲しみ嘆けば、父の子育ては失敗したということになります。なくなった悲しみよりも、父の思い出を思い出して父の娘で良かったことを思い出してください。そして父の娘として、幸せに生きることを誓いなおして生きるのです。それが父への感謝の気持ち、父親孝行の実践です。そして自分の子供に、父の楽しかった思い出をたくさんしてください。それが子供たちの親孝行の勉強にもなります。

 いつかはかなぶいんさんもなくなります。その時に父に会うことができるはずです。それまでの時間は実は短いのです。それまでは仏壇の前で父と話すためにも読経をしてみてください。心が落ち着くと思います。

がんばって!

合掌

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質問者からのお礼

回答 ありがとうございます。
自分の心が自分でもわからない状態でしたが まさにそのとおりだと思いました。父の忌報を受けてからの事を未だに鮮明に覚えています。 後悔の念から 自分で焼き付けてしまっていたのですね。 そのため 死を受け入れられないでいるのだと、思います。
また、死とは父の最後の教えであると考えて 無理をして乗り越えるのでは無く 共に生きていこうと思いました。
心に刺さるお言葉 ありがとうございます。

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