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父の突然死回答受付中

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数週間前に父が就寝中に76歳で突然死しました。
コロナ発病後に身体が弱くなり、よく風邪を引いては治るを繰り返していました。

今回も亡くなる数日前に風邪を引いて、母もいつものことと思っておりましたが、就寝中に亡くなり、朝母が発見しました。
娘の私は、亡くなる1ヶ月前に孫を連れて会いに行ったのが最後でした。

晩年は孫に会う事を楽しみにしており、祖父が亡くなった77歳までは生きたいと、何十年間吸っていたタバコもやめ、健康体操に行くなど身体に気を遣っていた父。

いつも私の体調にも気遣ってくれていたのに、なぜ私は気遣ってやれなかったのか、
私があの時病院へ連れて行ってあげたら、今頃はまだ生きていたんじゃないか。
まだまだ生きているだろうとどこかで思い込み、親孝行を何ひとつしてあげられなかった。

父への後悔や罪悪感、また父の無念が痛い程分かり、胸が押しつぶされ苦しいです。
母や孫ためにも前を向かないといけないといけないと分かっていても、死を受け入れられず、また会いたいと強烈に寂しくなり涙が止まらなくなります。

どうしたら死を受け入れ、前を向けるのでしょうか。
また突然亡くなった父は、死を受け入れ成仏が出来るのでしょうか。

2025年3月21日 11:38

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お父さまはお成仏されていますよ

お父さまを突然亡くされた悲しみと、その中で抱えている後悔や罪悪感、どれほど胸が押しつぶされるような思いで日々を過ごしておられることでしょう。このお話を言葉にして届けてくださったことに心より敬意を抱きます。深い愛情を持ってお父さまのことを思うあなたの気持ちは、きっとお父さまにも届いているはずです。

「もっとこうしていれば」という後悔は誰にでも生まれるものです。仏教では「生と死」は大きな縁の中で起きるもので、私たちはその全てをコントロールできないと説かれます。どんなに最善を尽くしても、結果を変えられなかったとしても、それはあなたの責任ではありません。どうか「自分のせいかもしれない」と自分を責める気持ちから少しずつ心を解放し、自分に優しさを向けてください。お父さまは、晩年あなたやお孫さんとの時間を心から楽しみ、感謝されていたと思います。その愛情があったからこそ、あなたが立派な親として振る舞われる姿を嬉しく見守っていたはずです。

そして、あなたが家族を大事に思いながら日々を過ごしていくことこそが何よりの供養になります。お父さまはこれからもきっと、あなたやご家族を見守り続けていてくれるでしょう。

父の死を突然受け入れるというのは、簡単なことではありません。「前を向かなければ」というプレッシャーを感じる必要はないのです。悲しむことも、涙を流すことも、心を癒すための自然なプロセスです。涙を流しながらも少しずつ、お父さまとの思い出や別れの意味が心の中に馴染んでくる瞬間が訪れます。その時まで焦らず、今の自分の気持ちを否定せず大切にして
どうか一人で抱え込まず、必要であれば周囲の信頼できる方に話してください。悲しみや後悔を完全になくすことはできませんが、それはお父さまとの深い絆の証でもあります。そして、その絆があなたを支え、お父さまもまたその絆を通してあなたを見守ってくれているはずです。

お父さまへの想いは、どんな形であっても供養として届いています。どうかご自分を責めず、ゆっくりとした歩みで心を癒していけるよう願っています。また何かありましたら、いつでもお話を聞かせてくださいね。お父さまが今もなおあなたを大切に見守っていることを心からお祈りしています。合掌

2025年3月21日 12:15
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有り難し
おきもち

個別相談可能
仏教の目的は、抜苦与楽と成仏です。 生きている人の苦しみをどうしたら癒せるのかを常に考えます。 資格:日本メンタル協会認定メンタルスペシャリスト。JADP認定心理カウンセラー
平日19:00から21:00に受付ます。

成仏への道に乗っておいでです

 こんにちは。突然のお別れで、さぞかし驚かれ、また悲しみの中におられることが伝わってきます。
 さて最大の問題、「突然亡くなったのだが、成仏できるか?」という事についてです。「成仏とは何か」について、あなたがどのような知識を持ち、或いはイメージを持っておいでか分かりませんが、私の属する浄土宗では、以下のように考えお伝えしております。
 この世の命を終えた方は、皆さん極楽という世界に行きます(行きたいと願い、或いは願われた方)。その条件は「突然」とかとは関係ありません。ご本人なりご遺族なりが「極楽に行きますように」と心の中に願いをおこし、口には「南無阿弥陀仏」と称えるか否か?のみが関わってきます。
 そして極楽についたら、その地で修行を積んで成仏を目指すのです。
 昔から、「亡くなる=成仏」という使われ方をしていましたが、これは今述べた「行って、修行を重ねて、成仏する」のプロセスを縮めているのです。
 さて、ここhasunoha には多くの宗派のお坊さんがおられます。「亡くなった後、どうなるのか」については各宗派考えが異なりますから、できれば色んな考えを聞いて、a.hさんが「それなら私の罪悪感も収まります」という宗派を見つけるのが宜しいと思います。

2025年3月21日 12:11
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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

質問者からのお礼

お二方にご回答いただき有難うございます。

父は成仏出来ているとのこと…
良かったです。
まだ亡くなって数週間、死を受け入れるのには長い時間がかかると思いますが、いつも父が傍で見守ってくれていると思い、父に出来なかった分の親孝行を母に、また孫の成長を誰よりも楽しみにしていた父に、立派に育て上げたよ!といつか報告出来るように、焦らず少しずつでも前を向けたらと思います。

父が亡くなって、自分自身を攻め続ける毎日でしたが、寄り添ったご回答をいただき少し心が軽くなりました。
本当に有難うございました。

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