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最近話題のお坊さんバラエティー番組について

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最近、テレビでぶっちゃけ寺というお坊さん出演者が仏教についてぶっちゃける番組が流行っていますが、お坊さん的にはこういった番組についてどのように感じるのでしょうか?
ためになるので毎週見ているのでしょうか?
それとも、バラエティー番組だからけしからんとでも思っているのでしょうか?
ぶっちゃけ寺に対するお坊さんの意見を聞きたいです。
よろしくお願いたします。

2015年11月17日 21:45

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お茶の間から仏教

くねくねさん
ご質問ありがとうございます。過去ぶっちゃけ寺に何度か出演させて頂いた立場からお答えします。

私がぶっちゃけ寺に出演した理由は、「お坊さんをより身近に感じてもらうため」です。

ハスノハの活動もですが・・一般の方にとって、話にくいお坊さんをテレビの画面を通して身近に感じてもらう事が目的です。

他の先輩お坊さんの活躍もあり、少しづつ仏教やお坊さんがより身近になって来ているのかなぁ。と実感しています。

ちなみに・・・こちらのサイトの共同代表はぶっちゃけ寺レギュラーの井上広法さんですよ(^^)

2015年11月18日 8:52
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有り難し
おきもち

小黒澤 和常
小黒澤和常と申します。現在は約380年続く松岩寺の副住職の任を受け活動をし...

良いことだと考えています

毎回録画してチェックしています。
番組が始まった最初の頃は「おや?この説明の仕方は良くないぞ」と思ったらすかさず老僧さんが遠回しに訂正なさるということもありましたが、逆に下のように思わず手を打って歓迎した説明もあります。

5/18放送の歌舞伎コラボ会 高野山真言宗 東賢性師ご発言
「仏様の救いって何かと私も本当によく聞かれるんですけど、仏様っていうのは自分の足で歩かない限り助けてくれないんですよ。だから仏さんの救いって何ですかっていうことを、ある弟子が聞いたら、仏はあなたの苦しみを拭い去ることもしない、あなたの手を引っ張って悟りへ導びかない、あなたの苦しみに同情もしない、私はただただ真実を説くだけだと。つまり、真理・真実を説いてあなた考えなさいと。だから自分の足で歩けるかどうかをやっぱり仏様は見ている。」

こういった発想を仏教国日本の国民のどれだけが持っているでしょうか?残念ながら、日本人のほとんどは「信じるものは救われる」のが宗教だと思い込んでいます。それだけ仏教の根本的な基礎基本が伝えられてこなかったのです。

現代はおそらく日本史上もっとも仏教離れが進んでいる時代です。廃仏毀釈のあった明治初期でさえ、廃仏毀釈反対一揆が複数あったほどであり、廃仏毀釈は信仰ではなく政治的な運動です。信心の薄れという意味ではやはり現代でしょう。
中でも特にアレルギーの強い世代は全共闘世代や団塊の世代と呼ばれる方々ですが、実はその世代は「仏教を軽く扱ってはけしからん」ということを最も根強く信じている世代でもあるのです。
仏教は江戸時代には落語や歌舞伎の笑いネタにされ、室町末期には踊りのネタにされ、室町期には能や小説のネタ、鎌倉期には軍記物のネタにすらなり、平安期は恋愛小説のネタになるばかりか、お坊さん自身もアイドルだったのですよ?こういうことをしていた時代こそ、仏教はありがたいとされていました。千年に渡って既に実証済みの社会実験です。

2015年11月21日 12:05
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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み) 最近YouTubeを...

バラエティーとして楽しめばいい

仏教は宗派によって考えが異なる部分が多いですが、そこら辺からはできるだけ離した番組構成になっているので、超宗派で楽しめるお坊さんバラエティーだと思えばいいのかなぁと。

私は毎回楽しく観ているのですが、出演されているお坊さんのスキルがあまりに違い過ぎるので、あまりフェアでないと感じます。
大学の教授が出ている宗派もあれば、つい最近僧侶になったばかりのお坊さんがでていることも。
同じ雛壇で話をするにはあまりに酷だと感じます。
とにかく私は出たくないなーと思うばかりです笑

2015年11月18日 9:44
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有り難し
おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

「お坊さん・僧侶全般」問答一覧

お坊さまって大変ですね…南無阿弥陀仏…

軟禁状態の私が言うのも何ですが… 私も微力ながら南無阿弥陀仏… 質問に戻ります 私の人生の中で 一番多いのが笑顔の時間 全部が笑顔らしい笑顔ではないけど 不思議と笑顔でいられるから不思議 偽りの笑顔の割合は意外と多い それでも私は笑顔でいる 心が泣いていても笑顔 イジメられていても笑顔 そんなんだから病気にもなる でも何故だか私は笑顔でいる 泣きたい時は泣いていいし 怒りたい時は怒ってもいい だって人間だもんね 私も人間らしさや人間臭さも嫌いじゃない だけどね それが出来ない人もいる 笑顔でいるしかない人もいる そういう自分がイヤになることだってある でもやっぱり笑顔になるんだなぁ それが良いとか悪いとかは 誰にも決められないこと 自分に正直でいたいと思う もっと素直にもっと感情豊かに 思いを表に出せる人を羨んだこともある それでも私は笑顔でいるのだから 私の笑顔のは単なる偽りの笑顔でなく それなりに笑顔らしい笑顔なのかなぁ それが今の私なのだから そういう自分を受け入れていたい 拒否したらおしまいになりそうだから そういう自分を受け入れていたい 涙を流しながらも笑顔でいたりもするけど 多分 それでも それなりに まだ頑張る余力が残っているのだと思う だからここhasunohaを頼ったりしながら 頑張って生きていこうと思う どう頼るとかは ちょっと意味とかもよく分からないけど 何とも言い様がないけど 何かこうして言葉にしているのだから 何か頑張れそうな気がする 決して1人じゃないと思えたから そんな私は今も笑顔 鏡の中の私が笑顔になっている お坊さまたちはどうなのかなぁ… 笑顔で過ごしているのかなぁ… そんなささやかな質問ですが お坊さまたちは今笑顔でいますか?

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納得のいかない法話

質問させていただきます。 回答しづらければ、スルーでお願いします。 母の四十九日法要の和尚さんの法話でのことです。 「亡くなった人はどこへ行くか?」と和尚さんは私の甥に尋ねました。 小学生の甥は、「心の中」と答えました。 それは、亡くなった母が教えたことです。 母は「自分が死んでも、いつも見守ってるから」という意味で、生前、そのように話したのだと思います。 が、その和尚さんは、それを完全否定しました。 人は死んだら「無」になる、と。 何もなくなる、心の中ということはない、と。 実際に仏教でどのように考えられているかは知りません。 和尚さんが仰ることが正しいのかもしれません。 ですが、そこはあえて否定する必要があるのでしょうか? マチガイハ タダスベキということですか? 甥だって大人になるにつれ、母の言葉の意味は理解するだろうし、何より母の法要で母を否定されたような気がして、何とも言えない気持ちになりました。(「黙れクソ坊主がっ!」と思ったことは内緒です) また、その話の流れで、ホームレスは人間のクズだから地獄に堕ちるという話をされました。 いや、ちょっと待て! 人は死んだら無になるんじゃなかったのか? 無になったら、地獄も何もないのではないか? それとも、ソレとコレとは違うとでも言うのだろうか? それより、ホームレスが人間のクズとはどういうことなのか!? それが仏教なのか? 和尚さんの偏見ではないのか? 和尚さんに対しての怒りの感情と、母に対して申し訳ない思いと… お前が地獄に堕ちろ!とマジ思いました… ホームレスの方達に炊き出しをするボランティアをしていたので、色々と思うところがありました。 もう数年前のことですし、そのことを引きずって悩んでいる訳ではありません。 過去のことに上書きすることはできませんし、それはソレで、そういう事実があった、でよいです。 ただ、その本当のところが知りたいです。 数年前のことを、なぜ今、このタイミングで?と思われるかもしれませんが、今まで聞く人がいなかったからです。 hasunohaのサイトを最近知りました。(遅っ!) よろしくお願いいたします。

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住職と檀家

はじめまして、翔太郎と申します。お恥ずかしながら、48歳のここに至るまで、菩提寺が真言宗豊山派だということを深く考えずに生きてきました。 しかし、父親が亡くなったら寿命が尽きるまで、わたしが菩提を弔わなければなりません。 となれば、わたしは豊山派の檀家として、それ相応の作法を身に付けたいと思いました。 残念ながら、13年前に亡くなった母親は、ひどい精神疾患でした。兄にもわたしにも、その血は流れているようで、わたし自身、精神障害者手帳3級です。父親は精神疾患というものを本当には理解できないようで、今の状態のわたしにひどい言葉を言うこともあります。それでも晩年の母親に随分と暴言を吐かれながらも看病し、時に惨めな思いをしたこともある姿を近くで見ていた実の息子としては、亡くなった時、菩提寺で手厚く葬ってやりたいと思い。きちんとした檀家の作法を身に付けたいと思いました。 まずは、真言宗の開祖であるお大師様の時代からの仏教の歴史を調べ、なぜ、高野山から別れる形で豊山派ができたのか調べ、母親の戒名が飾られてから、線香をあげなくなった仏壇に線香をあげるようにしました。 次に檀家は正式には、毎日、仏壇の前でどのようなお経を唱えるべきか、菩提寺のご住職に電話で尋ねようとしたのですが、ここから流れが少しずつおかしくなって行きます。 たまにご住職が電話に出ても、これから外出するところで、話をしている余裕がない。キャッチホンが鳴ったので、またかけてもらえますかの繰り返しです。忙しいのは事実のようで、息も荒く疲れ切ってるのが伝わってきます。後日、父親から茨城県で三人しか選ばれない議員に選ばれたと伝聞で聞き、どういう事情でそこまで忙しいのか、今度こそ聞こうと思い、電話をかけたところ、今度は息子さんが出ました。副住職をされているそうです。初耳でした。ご住職が忙しいなら、電話を取った時、息子が副住職をしているので、そちらに聞いてもらえないかと言って欲しかったのですが、それは言ってもらえず、息子さんに檀家の作法をお聞きしました。ちなみに宗会議員になると、檀家の相手をする必要がないくらい忙しいものですか?僧階は2級の権野大僧正だそうですが、それくらい偉くなると、檀家の話などまともに聞く必要もなくなるものですか。わたしが傲慢な考えを持っているようでしたら、分かりやすく注意していただけると助かります。

有り難し有り難し 4
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