生きていく理由
自分が生きていく理由がありません。
やりたいことも、したいこともありません。
中学生の頃から、死んだら家族が悲しむからと生きてきました。
家族の前で笑っていても、心は常に死にたいと考えてしまいます。
そうして、26歳まで生きてきてしまいました。
自分のことばかり考えるから、生きづらくなるのだろうと思い、家族や周りの人にどうやったら笑顔になってもらえるだろうとも考えて生きてきました。
でも、根幹が私にはありません。
自分はこう生きたいという思い、これが好き、そういうものがありません。
どうやったら、生きたいと思えますか?
生きてさえいれば、見つかることもあるかもしれないとも思って生きてきました。
大きく考えると、生きる理由の答えなんて、ないとは思います。
ただ、自分が自分自身が生きていくための理由がほしいです。
誰かのためではなく、自分にはこれだという芯がほしいです。
それを探すための人生なのかもしれませんが、、。
生きていく理由(根幹)がないということは、自分が存在する理由もないということに思えてなりません。
自分がいなくなったとしても、日常に大きな変化はありません。
日々の中の流れとして、組み込まれる、それだけです。
私が生きている意味はありますか?私自身が理由を見つけられないのなら、それはもう生きているけれど、死んでいるのと変わらないように思います。
周りのことを考えることにも、疲れました。私は自分勝手なのだと思います。
周りが幸せそうだと私も嬉しさを感じます。悲しそうであれば、同じく悲しくなります。
今、生きている毎日がそれなりに大変ではあるけれど、幸せだとも思います。
それでも、死にたいと思ってしまいます。へんな言葉だと思うのですが、死にたいというより、もう帰りたいという気持ちが強いです。楽になりたいという気持ちなのかもしれません。
意味不明な文章で、申し訳ありません。
私の考えはとても狭いのだと思います。
人生の先輩のお言葉をもらえたらと思います。
どうかよろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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論理や理屈って真実っぽい感じがする
頭で考えることが多すぎて疲れてしまったのでしょう。
考えるのは楽しいですし、刺激的ですからね。目の前の事実より優先したくなるほどに、理屈や論理ってほんとっぽいです。騙されちゃうのですよね。
生きる理由、理屈、なんかあると心地よいような気がするんでしょう。でもないんです。本当に。
今アルフォート苺味を食べました。口の中にその味がしました。苺の味ではないです。その味が。なぜしたのか?分かりません。しかし舌の上に乗せた瞬間にそうなるのです。理屈もなく。ダイレクトです。間髪入れずに。後から体の仕組みを考えたり科学的に理由をつければ説明できるのかもしれないですが、全部食べ終わった後の話。考え方の話です。
事実の方が大事だと思いますよ。リアル。生きている今です。生きる理由より今です。
そして生きることに潤いを持たせるためには、趣味や恋愛などがあるのでしょう。そうした潤いが人生に刺激を与え楽しくするのだと思います。
質問者からのお礼
意味不明な質問にもかかわらず、回答をくださり、ありがとうございました。
たしかに、今を生きてなかったように思います。今を生きるということは私にとってなかなか出来ていないことなのだと思いました。
趣味や恋愛にもどうしても疲れだけが先行してしまいます。そうすると、趣味はなくなるし、恋愛も嫌になってしまいます。それもやはり、色々と考えてしまって、今の瞬間を楽しむということが出来ていなかったのだと気づかされました。
今を生きる、事実を大切にする、忘れないようにしたいと思います。
心がちょっと楽になりました。
お言葉ありがとうございました。