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自分が何がしたいのか分からない

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私にはとても多才な友人がいます。
友人は多才ながらも新しい事に飛び込む事は多少苦手で最初の一歩を渋る性格です。
一方、私は想像力が乏しく、才能も乏しく頭の回転が遅いのですが、それ故に他の方に比べ始めの一歩を簡単に歩もうとします。
そんな私とその友人は正反対故に行動をよく共にします。
そして友人は人の輪を作るを苦手としそれを悩み私はその友人に良かれと思い自分が作った輪に迎えるのですが、その多才さから気がつけばその輪から自分の居場所を失う結果となります。
その事を苦しみ悩みながらも同じ事を繰り返してしまいます。

教えて下さい、私はなぜ苦しむと知りながら同じ事を繰り返すのでしょうか?
私は友人に対して自分が優位だと示したいからでしょうか?
それともただ哀れんで同情心からなのでしょうか?

また自分で自分が居場所を失う事をいとわないのは何故なのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

目の前の苦しみ

○○したい、という欲・衝動も、苦しみの一種なのです。
おいしそうなカレーライスが目の前にあり、食べたいと感じるとき、「食べたい」という苦しみが生じています。
食べたら口の中が辛さでピリピリするという別の苦しみが発生すると、ある程度予想していても、目の前の苦しみ(衝動)に突き動かされるのです。

まずは、楽しみ、衝動、欲も実は苦しみだとか、目の前の苦しみを意識しましょう。
次に、カレーの先にピリピリが来るなど、後先の苦しみも予想しましょう。

どちらを選ぶかはあなたの自由。
ただ、カレーが辛い食べ物だと知っているか忘れているかで、かなり人生は違うでしょうね。

なぜ、あなたがそんな行動をとるのか?
回答としては、「目の前の苦しみ」に飛び付いたから、です。

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