死ぬことばかり考えている現状を変えたい
はじめまして。最近こちらのサイトを知った者です。
現在の悩み(のようなもの)について相談させていただきます。
昨年の10月頃、退職する少し前あたりから、「生きることが苦しい、つらい。開放されるために死にたい」そう考える時間が増えました。ふとしたときにそういった考えが浮かび、ぼろぼろと涙がこぼれ、早く死にたいという気持ちが強くなります。
でもいざ死ぬために高所に行くと怖くて足がすくみます。変に生き延びて痛みを感じたり後遺症が残ったりするかもしれないことを考えて躊躇してしまうのです。
結局柵を乗り越えてその先に行くことができない。こんなだから死にたい死にたいと思いながらも死ねないし死なない。
これを繰り返しています。
この気持ちは臆病さや甘えから来ているものなのかもしれません。やってみれば案外なんとかなるものなのかもしれません。でもそんな勇気も気力も湧かない。とはいえずっとこのままでいられないのも分かっています。
ここまで育ててくれた親やお世話になった方々のためにも、そして何より自分自身のためにもどうにかして変わりたいです。
そのための第一歩として、まずは心の持ちようといった精神的な面でのアドバイスをいただけませんか?特に「死にたい」といったようなマイナス方面の感情を紛らわすことができる考え方など教えていただけますと幸いです。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私たちの命はそのままで尊い
こんにちは。亀山純史と申します。
「死にたい」といったようなマイナス方面の感情を紛らわすことができる考え方になるかどうか分かりませんが、蕎麦さんのために、私たちの命はそのままで他に取って代わることが出来ない尊いものであることについてのお話をさせてください。
私たちの命はそのままで他に取って代わることが出来ない尊いものであることを、お釈迦様はその誕生時に私たちに示して下さっています。
お釈迦様は生まれてすぐに七歩歩いて「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)」と言われたと伝えられています。
七歩の意味は、六道輪廻(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)を越える世界、つまり、悟りの世界に生まれることを意味します。
そして、「天上天下」は「この全宇宙において、」という意味です。
「唯我」とは、「唯一なる私」ということです。「私以外に私はいない」ということです。つまり、「私に代わる者はいない。」ということです。
そういう唯一なる私は、「その私のままで尊い。」ということが、「独尊」ということです。すなわち、この私に何かを付け加えなければ私は尊くないのだ、ということでもなく、また、他の人と比べることによって私の尊さが生じるものでもない、ということです。
以上が、私からの回答ですが、少しでも蕎麦さんのお役に立てれば幸いです。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
お話をしていただいて、なんとなく心が落ち着いて少し楽になったような気がします。そしてとてもためになりました。「天上天下唯我独尊」にはそういった意味合いがあるのですね。良いことを知れてよかったです。
今回のお話を胸に、少しずつでも前に踏み出そうと思います。