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元カレについて

回答数回答 4
有り難し有り難し 30

はじめまして。
10月17日に子ども産まれたのですが、死産でした。

子ども出来た事、元カレにおろしてくれとずっと言われていました。

最初妊娠がわかった時、わたしは、肺癌でした。検査した時に、二卵性双生児とわかったのですが、妊娠初期に元カレの浮気がわかり、自ら自殺未遂しました。病院に運ばれた時、赤ちゃんの様子も見てもらったら、一人成長してないと言われました。
で、下ろしました。

おろしたと嘘をつき、四月に別れて、妊娠してる事、6ヶ月になった時にはなしました.

その時に、おろしてくれと言われ、会ってからじゃないと認知できないと言われ、会おうとするといろいろとおこり、あえませんでした。

病院にも病気の事がありいけませんでした。

で、ずっと会えないで、元カレは元カレの親に私が妊娠している事もいっていませんでした。

子どもが産まれて、相手の親に電話して、子ども産まれた事話したら、元カレに話きいてからとの返事をもらったのですが、相手の親から子どもはなかった事にと言われました。

本当悔しくて、毎日つらいです。
毎日泣いてて、相手はのほほんと暮らしてると思うと泣けてきます。

自分でどうしていいかわからないし、元カレが忘れられなくて本当つらいです。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その無責任な男に依存した結果がそれだったのです

女性は男性がいなくても幸せになれます。
あなたが彼を選択したその結果がその不幸のどん底だったことを素直に認めましょう。
幸せになっている女性は悪い縁は潔く断ちきります。
これからは、あなた自身を取り戻す為に心の純白な生き方を選択いたしましょう。
あなたがこれから先幸せになるためには、あなたのフィールド、生活圏、に、不幸になる要素を元カレも含めて一切寄せ付けないようにすることです。
40代で肺がん。タバコの副流煙、エアコン、職場の空気、悪い空気も取り込まない。
体に取り入れるものも、心の中に取り入れるものも、悪玉菌を排除して善玉菌を取り入れるようにしましょう。
そのためのファーストステップは、あえて、その過去を肯定的に考えるべきなのです。
ネガティブに考えること、ネガティブな評価をすることが、あなたにとって不幸要素となってしまうからです。
「不幸は不幸だったけど、最悪の事態は免れた」と考えてください。
本当に本当に大変だったと思います。ですが、今日を限りにもう被害者意識を棄ててしまいましょう。
本当に、悔しいでしょうし、おつらいことと思いますが、もうこれ以上その事を負として捉えることはやめにしましょう。
悪く考えると、それが結局あなたの中でマイナス要素、ネガティブ要素として働いてしまうからなのです。
タイトルでは厳しいことを書きましたが、あなたのみならず、不幸になる人はみな男性、パートナー選びで失敗して不幸になっています。これでもあなたの未練は断ち切れないかと思いますが、一日も早く立ち直ってください。
彼の女であることは今日限りです捨て、母親として気持ちを新たに全力でその子に愛を注いでください。その男に愛があればとっくにあなたを迎えに来ていますし、産んでほしいと言っていたはずです。
その親が何と言おうが、彼には扶養義務があります。養育費をちゃんと法的に請求するべきです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

とにかく自分の体を大切に

大変な思いをされてきたのですね。ご自分の病気もあってこと、今はどうなんでしょうか。療養中ですかね。しっかり体を大事にしてください。

元彼のことは、ご縁がなかったのでしょう。正直あなたを大切にしてくれそうに無いですね。残念ですが。

今は頭で過去の記憶を引っ張り出し、コネコネと自分で取り扱って苦しんでいる状態です。
そこから逃れるには、今の様子、目の前の様子に徹してください。食事の時は食事。トイレはトイレ。風呂は風呂。その時その時の様子だけで生活してください。過去や未来は考えの中にしか無いことがわかるはずです。
心配なんかありません。
過去を引きずることもありません。
ぜひ今の様子だけで生きていることに気づいてください。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

あなたの側に何人います?

こんばんは。お辛い経験をされたのですね。
今とりあえず、お掛けする言葉も見つかりません。ただ。
今、あなたの側には誰がいますか。ご家族は?
あなたの側には。

(11/25)
そうですか、それはよかった。ご家族と今どんな関係なのか私には分かりませんが、そこが土台・出発点です。関係が良かろうと、そうでなかろうと。今あなたの側にいてくれる方がいること。そこからしか。 もう一点お伝えしたいことは、ぜひご自分の問答だけでなく、他の方のやりとりにも目を向けて欲しいということです。もしかしたらアナタが心を寄せ、何か言ってあげることで救われる人がいるかも知れません。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

比較できるのは過去の自分だけ

今の自分は、あの日の自分より
輝いてるかな?

比べるというのはこうすることをいうのですよ。決して他人と比べてはいけません。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

はい。

居ます。家族が。

ですが、この一年間、周りで亡くなる方が多くて自分の中でも整理できません

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ