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子猫と自分の心の置き所を教えてください

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有り難し有り難し 14

新年明けの雑事を済ませた帰り、道路脇で子猫を見つけました。保護していません。

小さくて大人しくて保護しようと思えばできたのにわたしは子猫を見捨てて帰ってきました。心細そうに鳴き続けるのを無視しました。

他にもたくさん子猫をみた人はいて、わたしのように帰ってきたからこそ、あの子猫はあそこにいたのだと分かっています。わたしだけではないと理解しています。

けれどわたしにとって、わたしが子猫を見殺しにしたということだけが事実です。

家に帰りつくと、一緒にいた家族が何も言ってくれなかったことに憤り、子猫があんなところにいることになった原因をいくつか想起し憤り、わたしは他人に矛先を向けることで感情を安定させようとしていましたが、結果としてわたしが子猫を殺したのだという事実は変わらないという結論だけがありました。

死んでいないかもしれず、拾われたかもしれませんが分かりません。

自分のできることの範囲を見誤り、無責任に悲しんでいます。けれど、悲しいという、自分の行動から起こった感情を否定はしません。拾ってどうにかなったのかと今考えても答えはすぐに出せないです。

これまで見た野良猫は成猫ばかりで子猫は初めてでした。TNRを考えて、手術できる月齢までの面倒やそのあとの里親探しと、現実的・物理的に不可能だったかもしれないことは多々あります。

けれどわたしが子猫を見殺しにした事実を考えると体の力が抜けていきます。

それでも、脱力したままでも生理的欲求は満たしています。

一瞬不快に思ってしまいましたが、それでも子猫にできなかったと、満足な食事と暖かい家での眠りなどを拒否すること・捨てることには意味がないと分かっています。

それらを理解して、理解するほどに、だからなんなんだろうと思います。

あの時のことばかり心にあります。

自分は何を考えているのでしょうか。子猫を見殺しにしたことか、それに伴う意志の弱さや行動力のなさに不甲斐なさを感じているのか、他人に配慮もせず落ち込む自分勝手さなのかその他なのかわかりません。

今は一緒にいた家族と顔を合わせることもできていません。

今後同じようなことがあったらどうするのかということを考えています。

その前にわたしが子猫にしてしまったことを、どう心のなかに位置付けたら良いか教えてください。
長々すみません。よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

目が向いたものと、目も向けてもらえないもの

あなたがいただく暖かい食事とは何でしょう?

食べ物ですか?

食べ物という命はこの世にありますか?

違いますよね。命を食べ物にして私たちは生きるのですよね。食べられたいと思っている命などありませんね。

あなたを見守る家族は何ですか?食糧難で飢え死にしていく環境にいる子どもたちは何ですか?大地を歩く時に踏みつける無数の微生物は何ですか?

みんな命ですね。

そのたくさんの命の現実の中で、どうしてあなたはその子猫だけを取り出して考えているのですか?

それがいいとか悪いとかそんなことを言いたいのではありませんよ。

ただ、自分の目が何を見て、何に目をつぶっているか気づきましょう。

可哀想と思うだけでは目の前の命一つ救えないのが私たちです。しかしその可哀想といって目を向ける命の陰に、いったいいくつの命がそれを支えているのか、目も向けてもらえない命の犠牲で私たちは生かされているという事実から目をそらさないようにしましょう。

あなたが無視したのは子猫ではなくて、子猫以外の多くの目も向けてもらえない命ではないですか。
そこから子猫だけを取り上げて「可哀想」と自分を責めても命の事実は変わりません。

私たちにできることは可哀想と嘆くことでもなく、これでいいのだと開き直ることでもなく、命の事実に頭を下げ、手を合わせ、そして生かされるこの私が何をできるか、何をしたいのか、問い・学び・実践し・確かめて歩むことでしょう。

まず、あなたがあなた自身の命とはどういうものか、どう成り立っているのか、そこに目覚めるのであれば、あなたと縁が結ばれた命の見方が変わるのではないでしょうか。

あなたは繊細で心優しいのかもしれない。

でもその優しさの背景には、その気になれば命一つぐらい救えたのにという傲慢さは果たしてないでしょうか?

命の事実に目が向くならば、私たちはどこまでも謙虚にならざるを得ない気がします。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

優しくて繊細という形容は、おそらくわたしがこれを書くことで返ってくることを望んでいたものであって、吉武文法様はそういうわたしの浅ましさを見抜いておられるのかもしれないと思いました。その点を突かれたからか、全てのお言葉が身のうちにあります。
わたしと縁が結ばれた命、命の事実と向き合い生きて行きたいです。
ありがとうございました。

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