意地悪で皮肉屋な自分を変えたい
私は人と会話しているとすぐに意地悪なことや皮肉など、所謂ディスりをしてしまいます。
そういう人は自分に自信がなく人を貶めることで相対的に上に立ちたがっているという心理があると知り、まさにその通りだと思ってしまいました。
このままではどんどん人は離れていってしまうでしょうし、言ってしまった後自己嫌悪で苦しむこともしばしばです。
人の良いところを認めて素直に賞賛することができれば1番良いのでしょうが、どうしても
「相手の実力を認める=自分は劣っている」という思考回路に陥ってしまいなかなか抜け出せません。
劣っているのが嫌ならば尚更他の人の良いところを認めて吸収しなければいけないのに、悔しくて悔しくてどうしてもそれができず、褒めるときもつい余計な一言を挟んでしまいます。
こんな意地悪で皮肉屋でプライドばっかり高い自分とオサラバしたいのですが、なにかありがたい教えやお言葉を頂くことはできますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
おバカになれたら楽チンですよね
いま、あなたの体のどこに「こだわり」がありますか「プライド」がありますか。どこもないでしょう。頭の中で作り上げた妄想でしかないのですよ。勝ち負けの基準を作っているのもあなたの頭の中、優越感、劣等感そんなものを作り上げているのもあなたの頭の中、全部あなたの頭の中。つまり自己責任。だからこそ、「やらない」ことが大事。
同世代の人に、言われて負けたくないと思うことも、年上の尊敬する人に言われたらそう思わないでしょう。そうやって人を色眼鏡で見ていると、好きと嫌いとかいう分別の心が出てくる。仏教ではそれは手をつけないのです。それ以前、目を開けたらその人がただそのようにいるというだけ。それで終わり。あなたの目はプライドなんてないでしょ。好き嫌い勝ち負け言わないでしょ。
そこに学ぶのです。自分の体を使い真実を見るのです。思いや考えは相手にしないのですよ。
友達がいなくなる前に気付きましょう。あなたがありのままのあなたでいることの心地よさ。プライドなんて妄想より大切なリアルに生きること。やってみてください。
質問者からのお礼
お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。色眼鏡という言葉を聞いてなるほど確かにと思ってしまいました。おかしな被害妄想に囚われないように生きていきたいと思います。ありがとうございました!