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命日に御線香をあげたいのですが

回答数回答 3
有り難し有り難し 17

12月に入ると、彼の命日がきます。

彼のご家族は生前からとても良くして下さり、
今も私の誕生日等には連絡を下さいます。
心からありがたいと思います。

しかし彼のご家族に限らず
周りの親切な方に優しくされると
どこか責められているような気がして、
何かが自分の中で爆発しそうになります。
上手く言えませんが叫びたくなる感覚と
似ています。

そんなこともあり、
今年こそは彼の家に御線香をあげに行きたいと
思い続けて8年経ちました。
未だ一度も足を運ぶことが出来ていません。

先日この場をお借りして
生きるヒントを頂きました。

そのヒントを活かして前向きに考えれば
今年こそは足を運ぶことが出来るはずと
思っていましたが、
いざその日が近づいてくると
モヤモヤした気持ちが勝ってしまいそうで
現在情けない自分に辟易しております。
毎晩彼の亡くなった日の夢を見ては、
やはり私が死ぬべきだったのだと改めて思います。

今回も曖昧且つ脈絡のない質問で申し訳ありません。
彼の命日を迎えるにあたり
私が今年こそ彼に御線香を上げられるように
何か言葉を頂けないでしょうか。

やはり私のような大事な家族を奪った人間が
今更御線香を上げるなど
烏滸がましい話でしょうか。

どうかよろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

モヤモヤしたまま行く

 こんばんは。お久しぶりです。めっきり寒くなりました。心境をお寄せくださり、ありがとうございます。
 モヤモヤするその気持ちのまま、足を彼のお宅へ向けるとよろしい。どんな気持ちで伺うにせよ、彼のご家族は、彼のことをずっと忘れず思い続けているあなたの存在を、きっとありがたいと思うでしょう。私が彼の家族であれば、そうです。
 前日まで、当日まで、逡巡することでしょう。歩きながら、モヤモヤするかも知れません。そのまま彼の家の前に立ち、そのまま呼び鈴を押し、そのまま玄関にあげて貰いましょう。彼という縁で、あなたとご家族は繋がっているのです。
 8年もの間、ずっと彼を大切に思ってくれていた人を、粗末に扱うことはありません。
 気持ちは、言葉や考え方では変わりません。変わったと思っても一時的なものです。行動によって変化がおき、ゆっくり定着してゆくものです。
 そして、よかったら、お線香を上げられても上げられなくても、またこのhasunohaにお越し下さい。あなたと彼のことを思っている人が、ここには沢山おられます。

(12/1)12月になりましたね。我が祖母の亡くなったのも、12月でした。今では、祖母に会いに行く報告しに行くような気持ちで、その日のお勤めをします。「僕はいま、こうしています」と。

(12/8)彼の家に向けて、出発できたのですね。それは良かったと思います。「結局行けなかった」よりも「足を向けられた」ことに、私は有り難さを感じます。「息が苦しい」と身体が悲鳴を上げているなら、一旦立ち止まって「ああ、今からだが辛がっている」と、ご自身の身体を労ってあげて下さい。

9
有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

あなたの敵はあなた自身

あなたを責めているのは、彼の家族ではなく、あなた自身の思いにすぎません。
動く前から、行動した後の事を勝手に想像し、マコトのように考え苦しんでいらっしゃるのでしょう。
御線香あけたければ、ただあげればいいのです。思いなんかなくてもいい。ただやってみたらいい。ただご家族に会ってみたらいい。何か開けるような気がしません?これも想像ですが。
兎に角今の目の前の生活を大切にただただ行じてみてください。
なんの問題もなく、生活できている事実に気づくはずです。

5
有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

後悔

責られずに心安らかにお線香をあげたいのですね。
でも、責られて当然なのですね。
責任を感じながらもその責任を逃れたいのですね。
方法はひとつ。彼のご家族が全員亡くなるのを待て。
もう誰もあなたを責める人はいません。

でも、責めてくれた方が、そこで思い切り泣けた方が、よっぽど楽だったと
後悔しますよ。

3
有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

皆様迅速なお返事ありがとうございます。

責められて当然なのに優しくして下さるから、
本当は私が死ねば良かったのにと
思っているのでしょう?と考えてきました。

私を正直に責めてくれるのは私しかいません。
責めて私が悪いのだと、
私が死ぬべきだったと結論をくれるのは
私だけです。皆本当に優しいのです。
誰も私が悪いとは言いません、
どうみても私のせいなのに…
分かりきっている事実にも関わらずです。
いっそご家族にも
恨んでもらった方が楽かもしれません。
どこまでも自分本位で情けない話です…
嫌気がさします。モヤモヤします。

色々考えてしまって
なんとお返事したらまとまらないまま
書いてしまいました、すいません。
彼のご家族に大事にしていただけることが
とても嬉しいと同時にとても苦しいのです。
支離滅裂でごめんなさい。
(11/26)

今年も足を運ぶことが出来ませんでした。
家を出ることは出来たのですが、
途中で息が苦しくなってしまい
気付いたら家に戻っておりました。
せっかく頂いたお言葉も全く活かせず
本当に情けなくて自分に失望しました。
悲しいです。
(12/6)

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