主人の声が聞きたい
度々失礼します。
主人が亡くなって1年半。
きちんと成仏できているのでしょうか?
身内の方が霊媒師さんにみてもらった所、心配事があって成仏はできているけど、色んな人の所へ行っていると言われたようです。
私が心配させてしまっているのかな?と気になって仕方ありません。
確かに、子ども3人置いてこの世を去ってしまった事が、何よりも無念で心配だろうなと思いますが、きちんと成仏して、笑顔で見守っていて欲しいというのが本心です。
それと、気落ちしてしまい会いたくてたまらなくなる時があり、それもいけない事だなと思っていますが、夜子ども達が寝た後など1人になる事があったら涙が出てしまいます。子ども達の前では泣けないので、主人が亡くなった日から寂しい、哀しい、苦しい、会いたい、触れたい、声が聞きたい、そういう感情を子ども達の前ではグッと抑えています。
前向きに生きたい、そう思っていますがそう思って行動する事によって、主人の心配事は減ってきちんと成仏してくれますか?
私が会いたいとか声が聞きたいと思う事で、主人が現れてくれるわけでもないのに…
でも、どうしても会いたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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死を通して教えて頂くこと、それはご主人に会える道
こんにちは。亀山純史と申します。y.o.yさんの「ご主人の声が聞きたい」とのお気持ち、大変よく分かります。微力ならが、私なりの回答を書かせて頂きたいと思います。
まずはじめに、霊媒師さんが言う、「心配事はあるけれども、成仏している」とはどういうことでしょうか。心配事、つまり、悩みがあるのに成仏しているとは矛盾する状態です。しかし、この「心配事」を「慈悲心」と読み替えるならば、スッキリします。ご主人は、皆さんのことを仏様のお心で見てくださっている、それが慈悲心です。いつも、皆さんのそばに寄り添ってくださっていることでしょう。
そして、他の方への回答でもご紹介した詩ですが、中西智海和上作の詩に、次のようなものがあります。
『人は去っても その人のほほえみは 去らない
人は去っても その人のことばは 去らない
人は去っても その人のぬくもりは 去らない
人は去っても 拝む掌(て)の中に 帰ってくる』
ご主人のほほえみ、ことば、そしてぬくもりは、いつまでも、あなたの記憶の中にあり続けます。そして、手を合わせることで、ご主人はあなたの心の中に帰ってこられるのです。
ご主人はあなたに、この世の無常や命の大切さなど、様々なことを、自身の死を通して教えてくださっています。もちろん、ご主人はそのために亡くなったわけでは毛頭ありません。しかし、ご主人の死からあなた自身が学ぶことがあれば、それはご主人の死を無駄にしないことへと繋がっていくことでしょう。そうして、ご主人の死を通して教えて頂いたことを大切にしていくならば、それはご主人に会える道へと繋がっていることだと思います。
以上が私からの回答です。お役に立つことが出来れば幸いです。
お悔やみ申し上げます。
南無阿弥陀仏
ところで、
1人静かな時に、写真や位牌の前で手を合わせ、亡き人のことを心にゆっくり思い浮かべて、心の中で話しかけてみてください。
何か日頃の悩みなどでも話してみてください。
一瞬心の中で亡き人が答えてくれることがありますよ。
いつかはまた会えます。
それを信じて子育てをご主人の分も頑張ってくださいね。
ご主人があなた達を見守ってくれますように。
南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
亀山純史様
ご回答ありがとうございます。
亡くなってから仏壇に向かう事も嫌で、なぜ主人に向かって手を合わせるのか、不思議で仕方ありませんでした。今でもそうです。
この回答を頂き、詩を読んで手を合わせる事で主人は心の中に返ってくる。そう思うと今までしてこなかった事を後悔しました。
受け入れられない現実に背を向け、ただただ生きてきた1年半。これからも続くかもしれない。でも、前を向いて生きていく努力をしなければいけませんね。
ありがとうございました。
三宅聖章様
ご回答ありがとうございます。
目を瞑って、主人を思い浮かべ、心で話してる時はあります。主人の意見を求めたい時など…。主人だったらこう答えてくるかな?と思うと、本当にそう言ってるようにも感じます。
主人の分まで、子ども達への愛情を注ぎ、頑張りたいと思います。