四国巡礼の経験もなく、般若心経「以外」はいけないのでしょうか
毎朝仏壇に向かいお経をあげています。
ところが、ある生き神様(仏教系の霊能者)から「般若心経くらいにしときなさい」と言われましたので、いかがなものなのかお尋ねいたします。
我が家は浄土真宗ですが、真言宗に魅かれて四国八十八か所巡礼の際唱える、
「開経偈・懺悔文・三帰・三竟・十善戒・発菩提心真言・三摩耶戒真言・般若心経・光明真言・御宝号・回向」。
加えて「十三仏真言・観音経」を読誦しています。
ところが、生き神様が「それらは何のお経?」と言われましたので、
「遍路の際各お寺で上げるお経」と言いましたところ、あまりご存じなかったようです。
さらに「巡礼の経験もなくして、それらを上げるのは間違っている。まったくムダです」と言われました。
家族や親族への日々の御守護に感謝し、これらのお経をあげているのですが、いかがなものでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
はっきり言って、その生き神様が全面的に間違っています。
もし、四国巡礼してなかったら唱えてはいけないなら、あなたのお唱えになっている真言宗のお経を、真言宗の僧侶自身が唱えることができなくなってしまいますよ。(徒歩で四国巡礼した真言宗のご僧侶が何人もいらっしゃるでしょう? ちなみに私は真言宗ではないですが、私もしておりません)
そもそも仏教的には「生き神様」などという存在はありません。
仏教は「諸法無我」(独立した個は存在しない)の教えです。
だから、生き神様などという特別な存在は否定するのが、仏教的な常識なんです。
さて経典では、仏の6つの神通力と同じものが魔にも5つ備わっていると言います。
(他心通、神足通、天眼通、天耳通、宿命通)
*説明は省きます。詳細はネットで見て下さい。
その人が必ずしも「そうだ」とは言いませんが、世間には、魔に取り憑かれてちょっとした神通力を得た結果、人を惑わすミニ教祖となる人が後を断ちません。
仏にあって魔にない神通力。
それは「無漏路」。煩悩を漏らさないという力です。
それだけのお経が唱えられたら、とてもご立派ですね。
どうぞこれからも安心してご精進下さい。
堂々と胸をはって。^ ^)/
質問者からのお礼
遠藤様、早速のご回答ありがとうございます!
この「自称:霊能者」はどうやら般若心経一辺倒。だから私がいろんなお経を知っていることに、ちょっとやっかんだのだと思います。
とはいえ「巡礼にも行っていないで、お経を上げるのは順序が逆…」などと言われれば、気になるもの。
ゆえに、僧侶の皆様に本当のところをご指導いただきたくお尋ねしたところです。
ありがとうございます。ありがたいお経の数々、今後も胸を張って唱えていこうと思います。
「他心通、神足通、天眼通、天耳通、宿命通」あとで調べてみます。取り急ぎお礼まで!
ちなみに、輩の所へは2~3度訪ねただけ。この件があって以来「ああ、ニセモノだ…」と一気に冷めました。
ご回答に深くお礼申しあげます。