信じて良いのか、離れてくれなのか回答受付中
浄土に往きたい。そんな想いが、行ったり来たりの毎日です。
「あなたにとって、失敗とは」
職場でペアを組み、一分間にまとめて話す定期的な機会があります。お題後に、考える時間は1分半で昨日の私の内容は、以下の通りでした。
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私にとって、失敗とは…日常茶飯事です。どんなに気をつけたつもりで、今度は失敗しないように…と心掛けても、失敗を繰り返してしまう。反省して、また失敗して…それが、私です。
その時謝って、許してくださる方もいれば、許されない方もいる。あまりにも失敗が直らないので、もういつ浄土に行ってもいい、そんな思いになることもある。そんな私を、阿弥陀さまは救ってくださる。助けてくれる人もいる。だから、その周りからのご縁を信じて、感謝とともに今日一日を精一杯生きる。助けてくださる人を、尊敬する。本当に生かされていることに、感謝。
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隣にいた私の煩悩の方から、「素晴らしい」という声が聞こえました。
日頃の仕事ぶりを件の方に評価いただいた時、「もう往きたい」「身の振り方を考える」とこぼれました。
燃え尽きの自覚もあり、専門家にも相談済で「休職の必要なし」ただ、話せば話すほど、先方は寂しげな表情で…
「頑張って!」という声も、あったのを覚えています。応援ですので…熱いエールを送ってくれている、そう受けとめています。
多分、周りにも即、打ち明けられたことと思います。雰囲気が変わりました。
昨日は、あるお話のとき呼び出しを受け
「無理しないで」
「ごめんなさい」
でした。
厳しく温かく、連携してフォローいただいているし、そんなにすぐには変わらないことが、少しずつ変わっていることもわかります。みんな、精一杯です。
職場には、たまたま前職で専門的な相談職のキャリアがあり、ご自身もメンタル経験者である見習いの方がいます。
大切な家族のための相談が、なかなか進まないことについて、お互いに本当に繁忙で時間が合わないこと、そして葬儀費用は私の全負担に加え、大学もこれから…それらの事情を察して先方も話を進めづらいのでは…と、面倒を嫌うご性格のお荷物になってしまうのも心苦しいところです。
お互いに多忙な一日で、過ぎゆく時の中に何と申し出たら良いのか、先に貯まるまで待つのが吉か、答えが出ません
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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日々を丁寧に過ごしませんか。やってきたことを繰り返す。
無理に答えを探していかなくてもいいんじゃないかしら。
失敗もしたくてやっているわけじゃないけれど、この世界はいろんな人と絡み合い、いろんな思惑の中で、「自分」を生きていますので、当然ながら外から刺激され影響を受けて「自分をコントロール」しているわけです。
なりたい自分とは違った形で、社会や家族の中に「私」が生きているわけです。ですから、失敗だったな、誤解されちゃったな、言えなかったなと落ち込むこともありますが、世界の中で孤独のひとりぼっちじゃないからこそ、人と絡み合って「私」がいるのでしょうね。
離れる方がいいのかどうかも誰にも先は見えませんが、はっきりとわかることは、やってきたことは周りが認めてくださっていること、それがあなたの力になっていたこと。これは誇ったら良いのですよ。
この先どうこうもがいても答えが出ないなら、今は答えを探さずに、日々を丁寧に過ごしませんか。やってきたことを、繰り返す。それでもいいんじゃないかしら。人とのコミュニケーションに疲れたら、草木や花に「おはよう。またね。ありがとう」と話して癒されましょう。そのうち、答えの出る方へ、流れていくように思いますよ。
阿弥陀さまにしか、答えはわからないのかも。
それもいいんじゃないかしら。
だって、人間だものね。
南無阿弥陀仏
他のエピソードとつなげて考えない
一つの出来事に関連して、複数の過去のエピソードを重ねて思考してしまうと、感情が複雑になって憂鬱になる場合があります。
例えば、仕事の失敗と家庭内の問題は本来は別々のエピソードなのですが、仕事の失敗で悲しくなったときに、家族関連の怒りや悲しみも相乗りで出力してしまうと、感情がぐちゃぐちゃになります。
失敗の原因の一つは集中力が切れてミスすることや、焦って確認すべきことを省いて忘れてしまうこともあります。
そのミスは、主に「怠け」の煩悩(集中力をケチる)によるものです。
しかし、そこに関係ないエピソードを思い出して悲しみ(怒り)の煩悩を付け加えてしまったり、「私なんて、私の価値は」等のプライドの煩悩を付け加えてしまったりすると、思考や感情が複雑になりすぎますね。
ですから、何か失敗や問題が起きたときに、「他のエピソードもつなげて考えない」ことを意識してみまょう。
質問者からのお礼
願誉浄史さま
早々のご回答をありがとうございます。
繋げ繋げて、無限の絡まりがエンドレスだった思考の癖が因、それで気が重く憂さが晴れなかったのが果、なのかなと気がつきました。
上は、自分の課題も常にシンプルに示してくださっているので、ただそれだけに集中すること、一意専心でまたリスタートしてみます。
ありがとうございました。合掌
中田三恵さま
いつもありがとうございます。
早く答えをだして、安心したい…特別に、繋がっていたい、そんな焦りや執着が深くにあるのでしょうか。
藻搔いて、苦しくて、でもそんな時こそいったん、「あ、自力作善だ」と息をつく。それがゆっくり休む、でしょうか。
今まで、どんなに自分なりに努力しても、変われなかった部分が変われている面もあり、それは他ならぬ有難き上司たちから厳格な愛を注いでいただいたお陰様で…
目標を達成した時点で既に次のスタートラインが切られていて、自己新記録を更新しても「もっと」「さらに」と 「終わらない仕事」が押し寄せて来ます。
草木の声はいつも応えてくれます。姿だけでなく、皆の心の中もお見通しなのだろうと思います。
お互いに言葉が通じないこともありいろいろと、辟易してしまいました。「トライしてみて、もし何かあったら…また教えてください」
帰り際の不意の「ごめんなさい」は、私に言われたのかわからず、スルーしてしまったし、でも隣のお父さんは無言だったし…
ぷつんと切れたような、また再生されるような…鍛えられていく、ってこんな感じですか。
心が自立して、ひとりで、人と人との間で支え合い、波に揉まれていきながら走り続ける。
明日母の元へいっても、後悔はないくらい全力を絞り尽くしています。
また、コトノハを綴ります。
南無阿弥陀仏