hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

お許し下さい

回答数回答 1
有り難し有り難し 48

私はとても弱い、と言うよりだらしないのかもしれません。ここで私はお坊様方に人間として接して頂き幸せでした。ありがとうございました。お坊様方の御言葉は私の決して無くならない宝物になりました。
でも、余りに辛い事が多すぎて耐えられなくなっています。そのさえたる事はやはり実の二親と妹が主人と私に起こした裁判でしょうか?裁判所から届いた出頭しろと封書が届いた時の全身が凍りつく恐怖は忘れる事が出来ません。
毎日主人に申し訳なくて引っ越し作業も主人は海外にいるのを幸に泣きながらしている有様です。身勝手かもしれません。今それをヒシヒシと感じています。
最後の瞬間まで主人とワンコ達を愛そうと思います。
写経も完成しませんでした。仕上げたかったな。
お坊様方、スタッフの皆様本当にありがとうございました。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたが相手にされているものは

全部ご自分のこうしたい、こうありたい、こう思った、という心のディスプレイに映し出されたことばかりですね。
過去のことを思い返しては今日という一日を見失い、
先のことを思い浮かべては今日という一日を見失う。
どこを生きておられるのでしょうか。
単にそういうクセに気づけばいいだけです。
こういわれてもアナタはおそらく「あなたが思ったこと」を優先的に相手にされると思います。
悩みが無くならない最大の原因って実はそこにあるのです。
ちょっと以下のAとBを比較してみましょう。
立ち直っていく人、治っていく人はこういう流れで進みます。
「Aタイプ」
①坊さんにこういわれた
②ああ、そうか。そこがいけなかったか。)
③その回答を受け止める。
④行動を改める。
⑤お悩み解決。

「Bタイプ」良くなっていかないタイプの人の悪いクセ
①坊さんにこういわれた( ゚Д゚)
②でも(打ち返し)"(-""-)"
③だって(打ち返し)(/_;)
④どうせ(打ち返し)(T_T)
⑤自分の思ったことを相手にする
⑥結果、人から回答を引き出しても自分の考えや行動を本当に心底改めようと為されない。

厳しいようですが私どもはあなたにとってあなたの都合のいい回答を拈出することを主としていません。
この回答は、今までの回答も含めて、あなたに「ナイスキャッチ」をしていただくために働きかけているタイプの回答です。
まず、自分のことばっかりじゃないでしょうか?
わかる方は「ああ、気づきませんでした。本当に私、自分のことで頭がいっぱいでお坊さんのご回答も受け止めているようで全然受け止めていなかったということに気づきました」と言われるものです。
私の所には毎日のように電話相談が来ますが大半の方は「Bタイプ」の方です。
文字や対話のやり取りというものは、こちらが大切なことを申し上げても受け止める側は、それをスルー出来る権利があります。
あなたが本当に問題にするべきなのは、両親がどうしたとかよりも、あなたがあなたの考えたことやあなたの思ったことばかりを相手になさっていて、私どもの助言も今日、今目の前で起こっている現実も、あなたの「思っていること」を優先されるばかりに、受け止め、キャッチ、今日の新たな出会いを見逃しておられることにこそあるのではないかと拝察申し上げます。 
受け止めづらい回答ですが、何度も読み直して下さい。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

分かりません。
自分の事ばかりですか?確かに。だからここに来てしまうのですが。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ