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娘のことで書かせていただきます

回答数回答 2
有り難し有り難し 16

またよろしくお願いいたします。
大学4年、就活中の娘です。
内定を貰えたのが、11月始めと、大分手間が掛かりました。不採用の通知が届くたびにその間、ずっと人格を否定されつづけてきたように感じてしまったようです。
ようやく内定が出ても、そこのいやな情報ばかりを、まるで何かに取りつかれたようにネットで検索し続け、某政党と関係の深い組織だと知るや、今度はその組織の一員になるのが怖いと言い続けています。
そして、別の職場を探し始めています。
周りの私たちから見ると、社会に出るのが怖くて逃げているとしか思えず、夫はもう、娘の話を聞こうともしません。
娘が自分の実力以上の職場ばかり求め、現実の自分を認められないことにも腹を立てています。
ずっと実家暮らしで、娘を甘やかしてしまった結果と、いまさら後悔してもどうにもなりませんが、私たち周りの人間はどんな事をすればいいのかわかりません。
もし、今内定が出ている組織を断って、別の企業に合格しても同じように逃げることを考えるのではないかと心配でなりません。
支離滅裂ですいません。
宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

任せる 〔本当に そうなってから考えたらどうでしょう〕

☎もしもし。丹下でした。(山形弁)
ご安心ください、履いてます。じゃなかった、ご安心ください。あなたの怖れる最悪の事態はまだ起こっていないズラ。
なったらなったで、それでも何とかするのが本人の人生ズラ。
だって、いつか親は先に死んじゃう訳ですし。
親ゆえに過干渉なりがちなものズラ。
本人は本人なりに環境の変化に対応していくものです。
適応できなくなったら、それも「吉」。
ようやくそんな甘ちゃんじゃダメだったんだと思えるためのキッカケですから。
この問題は、こう言っちゃなんですが、いわゆるあなたの心配し過ぎです。
母親は、くどくど言わず良い智慧、役に立つ智恵だけを援護射撃として与えていく事に努めればいいのです。
くどくど口酸っぱく、あれはだめだ、きっとだめだなんて言われ続けたら本人もハタハタ迷惑、ウンザリ。嫌になります。
ご主人も多分、あなたの過干渉にハタハタメーワクで困っていると思いますから、今晩当たり「娘のことが心配だったのであれこれ口酸っぱくいってしまったけど、悪かったズラ」と軽く謝ってみてください。何かご主人が思う所があれば語ってくれると思いますし、あなたが無意識に敷いていた戒厳令が解けてご主人もホッとすると思います。
男性はそれなりに考えていて、すでに将来的なビジョン、覚悟ができているものです。
私がその立ち場なら50歳ニートを覚悟する。心を悩ませない。
そして、現実にそうさせないように家族の結束力を高めていく。
本人が家族にだけは口と心を閉ざさない様に、責めるようないいかた、口酸っぱい言い方を絶対にしないように夫婦間で今の言い方が適切かどうかを確認し合いながら見守ります。
それができてこその夫婦であり、親子であり、家族ズラよ。
※この回答僧丹下は埼玉県民であり、ズラは静岡弁ズラよ。
以上、現場から、丹下でした。(山形弁)

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

取り憑かれていますね

他人の評価に取り憑かれているのでしょう。ネット社会の悪口は凄まじいですから。そして勝ち組と負け組に分け切って、負け組には蔑みを、勝ち組には妬みをぶつける書き込みが溢れています。だから自分の実力以上の職場を求めているのではなく、他人に馬鹿にされない(存在しない)職を求め、某組織の一員になることを拒んでいるのではなく、某組織のシンパと見なされるのを恐れているのでしょう。特に政治関係の悪口は人種関係と絡めてえげつないですからねぇ…

おそらくお嬢さまは、ご実家にいながらご実家から出て行っていたのです。ネットを通じて。そういった意味ではひと昔前より早く大人の世界に首を突っ込んでしまえるのですよ。しかも匿名で無遠慮極まりない荒波の中に。ひょっとしたらお嬢さま自身がその波風に便乗したことがあるからこそ、跳ね返って来るのが怖いのかもしれません。

確かに逃げと言えばまぁ逃げですよね。でも、今まさに社会の荒波に揉まれている最中なのですよ?そこでお母様が手を握って導いてしまえば、それこそ実家暮らしの甘やかしではないでしょうか。グッと辛抱しましょう。

今のお嬢さまをそのまま受け入れてあげましょう。他人に認めてもらえないことを恐れる人をさらに突き放しても、きっと良いことにはなりませんから。行き場所がなくなるだけですから。

そしてキンダマウロさまの望む幸せではなく、お嬢さまなりの幸せを探させてあげて下さい。今の世間は恋愛結婚の時代ですが、私の母方の祖母はお見合いで「まぁ、こんなものかな」と感じた祖父と結婚し、幸せに暮らして、祖父が亡くなった今でも愛しているようです。逆に、生涯結婚しないで幸せに生きる人もいます。
ああいう生き方はダメ、こういう生き方はダメという考え方は、自分自身の心を緊張させます。人間には色んな生き方があって良い…そう思った方が、キンダマウロさま自身の腹がくくれて、楽になると思いますよ。実際に好き勝手させるかは別としましてもね。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouTuber「仏教・お寺ch 大慈」。 【現代日本仏教最大の課題のひとつはコミュニケーション不足】をミッションに10年以上、インターネット上で情報発信をしています。 YouTubeでは仏教の教えや読経だけでなく、お寺の真相やお坊さんの生活が分かる動画を配信しています。(リンクは↓のURL)

質問者からのお礼

お礼が大変遅くなり失礼しました。今、娘は病気で、たぶん自分自身と戦っているところだと思います。私達、親はそんな娘を見守る事しか出来ません。一番大変な時に、こちらで気持を聞いていただき、回答を頂きありがとうございました。

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