自分を愛するにはどうすれば良いでしょうか?
人に言えない過ちを犯し、相談させて頂いた者です。
その過ちについて、相手方との清算は済みました。そして、家族や信頼出来る知人にも告白して相談しました。
ただ清算は済んだとはいえ、してしまった事実を消すことが出来ないことへのわだかまりが晴れず、悩み苦しんでおります。
この悩みについて突き詰めると、自分を許せないことにあるのではと感じております。
過ちを犯した自分を許し、自分をもっと愛したいです。
自分を客観視して、自分自身を抱きしめていたわってやるような想像を試みたのですが、どうもうまくいきませんでした。
どうか「心のコリ」をほぐすアドバイスを頂けますと幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
千手観音行
30の悪事をなす人も、1000の善事を為すことによって、その罪は消じてゆくものです、
悪いことをしてしまった。
それに向き合い、誠実に懺悔した。それは誠実です。
その気持ちをもって、日々懺悔の気持ちをもってください。自分を責めることではありません。
ああ、すまなかった。
手を合わせてください。
そうしていくなかで、自分の力を持って世の中のために力を使ってください。
誰かのお役に立つ。
そうすることであなたは心が社会復帰します。
誰かのためにかけがえのない存在になります。
それを続けていってください。
千手観音という仏様がいます。
千本の手がある、というより千の仏行を行った菩薩です。
あなたがこれからそれに向けて日々、3つでも5つでも行うのです。
今日はあなたはこの話を聞いてその誓願を起こしてくださいました。それが一手観音です。千の行に向かって精進してください。必ず自分を愛せるようになれます。
抱えたまま生きる
人はみな、自分のした事の後悔を抱えたまま生きるよりありません。私を含め、恐らく回答して下さる僧侶のみなさんも、何かしら過去の後悔を抱えている筈です。それを忘れて、真っさらに生きる事はできません。だからこそ、人は謙虚になれるのです。それができないのは、子どものままでいたいピーパーパンです。
だから、こう考えては如何でしょうか。
自分を100%許すことはできない。しかし100%許せない訳でもない。自分の過去の過ちは忘れず、ゆえに「生かしてもらっている」という謙虚さを忘れない。
これは、お互い様なのです。もしあなたが「真っさらな、何も悪さをしたことがない人でなければ信用できない」というのであれば、誰も何も言うことはできません。世の中、お互いに許し許される関係であるからこそ、「せめて何かしら言ってあげられる」というものです。
私が見たところ、あなたは「デジタル思考」に陥っていると思います。思考や言葉の上では成り立つものですが、実態に即してはおりません。あなたが謙虚さを身につけることは、実は他者への寛容さを身に付けることでもあります。「謙虚さ」、どうぞ心の片隅に。
質問者からのお礼
どうも有難うございました。