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許すとはどういうことですか

回答数回答 2
有り難し有り難し 183

前回までの質問では解答をいただき、それを参考に自分なりに考えて自分自身と向き合う時間も増えてきたところです。

ですがやはり考えがまとまらず混乱し、いつまでも整理がつかないのが現状です。

あの経験は私にとっては悲惨なもので、やっぱり許せないという気持ちとそれでも多少は自分にも非があるということは考えることはできてもそう思うことは難しいものです。

タバコ、パチンコ、学校に行かないことetcは私がその当時救い、逃げ、も求めたものでこれらが今もあの悲惨な記憶を思い出させうだうだと思い悩ませる要因のひとつなってることは間違いないし、なにか嫌なことがある、気が落ち込んで考え込んだりするとすぐにこれらに逃げる癖がついています。気が落ち込むとまた逃げるのループです。

もっと遡って考えてみたら中学の頃の成功体験と大学での失敗体験のギャップを比べて、おれはこんなもんじゃない、もっとやれる、、、からのなんでこうなんだ、はぁ、無理か、、、と自分に失望し絶望していたのだろうかと思いました。

そして逃げる時は自分で過去のその経験のせいにしているんだと思います。常に過去のことばかり考えているような気がします。思考もそういう癖がついてます。甘ったれてますね。

でもこのまま黙っていたらただ時間だけすぎて終わってしまいます。許せないから思い出し、いつまでもあの時間の中で出ない答えを探そうとするくらいなら、許せば楽になるはず。許すことイコール忘れることだと思いました。

ですがやはり根が深く、簡単じゃありません。
親にもこれ以上学費を払わせられない、弟も進学したいと言ってる、大学の先輩でもある高校の監督にも迷惑かかってるしいろいろ言ってくるのに対して自分の気持ちとしては、そんな周りの意見や思いに合わせられるほど余裕なんかない。

なんかもうわかりません。やっぱり許せないです。たしかに高校時代後輩たちにはきつくあたったことはあります。それは大学にはいってやられて本当に申し訳ないと思いました。こういう思いだったのか、と。心から謝りたい気持ちでいます。ですが当時諸事情で監督がおらず好き放題やられ理不尽しかない状態、自分という人間が完全否定されたあの出来事は忘れられそうにないです。自分もきつくあたったんだから当然だといわれりゃあどうしようもないですが
前に進みたいです。わかりません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分を許す

許すというのは難しいですね。前のご質問も拝読しました。

あの出来事の相手を許せますか?忘れられますか?私ならなかなか難しいです。できないかもしれません。

許すのは相手ではなくご自身ではないでしょうか。

あんな目にあってしまい、今も引きずっている自分
自分にも何か非があったのではと自分を責める自分
今の理想とかけ離れた自分

そんな自分を許しましょう。受け入れましょう。過去はなくなりません。なかったことにはならないのです。
ゼロからのスタートなどと言いますがそんなことはありえません。これまでの全てを引っ提げてリスタートするのです。自分をゆるすこと、自分の境遇を許すことから。

いろんなことが重なって起きてしまったあの「出来事」を許すのでなく、「起きてしまった」ということを許すのです。自分の縁を。いくら否定しても全ての縁が今のあなたとなっているのですから。

相手とあの悲惨な出来事を許せない気持ちを捨てる必要はありません。ただしこれからはそれらよりも許してあげた自分を大事にしましょう。
あの出来事に執着しても自分を大事にすることにはなりません。

あなたの今をあなたが許す。あなたがあなたの今を引き受けるのです。あの出来事は許せなくたっていい。
あなた自身とあなたの今これからを、あなたのためにあなたの人生を。あなたの人生の主役はあなた。彼らではありません。自分の人生を生きましょう。

「奴らは許せない。でもオレはこれからまたオレの人生を生きる。失った時は戻らないけども、これからを自分のために懸命に生きる。だからすいませんが学費をお願いします。」

と親御さんに頭を下げてみればいかが?今の自分を引き受けて覚悟が決まればできるでしょう。親御さんも喜んで協力してくれるかもしれません。

誰もあなたの人生を代わりに生きてはくれません。あなたの人生の責任は親も高校の監督もあの出来事の奴らも取れません。あなたしか責任は負えないのです。

自分の今を許し、あなたの人生を。あなたの経験はあなたしかしていない。あなただけができるあなたの生き方があるのです。

これからがこれまでを決める。あなたの許せない過去があなたのこれからに活きるかもしれません。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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こうゆう許す方法もあるんだな」と読んで頂ければと思います。

過去の投稿も拝読させて頂きました。毎回、他の先生方の回答をじっくり読まれ、ご自身で考え消化しようとしてる姿、すごいなぁと思います。許す=忘れること、それも一つの方法です。
私の場合の例ですが「何の位もない女が、お寺の若いのに手を出して。そのうえ、お坊さん?恥を知りなさい!生きている価値などない!」と、初対面で怒鳴る方がおられました。最初は「あなたには価値があるんですか」と口から出そうなくらい怒っていましたが、私を否定する話が3時間続き、正座している足は感覚をなくし「生まれてこなければよかった。命がけで産んでくれた母に、全力で守ってくれた父に申し訳ない。30歳過ぎて、こんな事を言われる娘で申し訳ない。」と完全に自分を失いました。浄土真宗では、どんな人間でも阿弥陀という仏様が命がけで寄り添ってくれると聞かせて頂きます。それを思い出し、大切に思ってくれる両親や夫、子供たちがいる。この人には無価値でも、私を認めてくれる人がいたんだと心が温かくなりました。
自分を認めてくれる人がいる私は、決してつまらない人間じゃないと思ったら、その人の言葉が、私の心に刺さらなくなりました。耳から入ってきても「そんな事しか言えなくて可哀想だな。この人の家族が聞いたらどう思うだろうか。もしかしたら、家族と疎遠で寂しいのかもしれない。それなら、その悲しみを受け止めるのが僧侶なんじゃないのか」と相手を非難せずに事を終えることができました。
Kさんが受けた、身体的・精神的な苦痛とは比較できるものではないし「みんな苦労してるんだ」と言いたいわけではありません。私にとっては、許す=認めることです。
愚かな行為をした人だと認める、私も愚かな行為をしたと認める。許さず認めるという方法もあるのではないでしょうか。「あいつら、ほんとクソだな。許すことは出来ないけど、自分が痛みを受けたから、自分の過去の行為を振り返ることができた。自分はクソみたいなことはしない。同じことはもうしない。」そう思えている時点で、一歩も二歩も進んでいます。
逃げることも落ち込むことも、悪さをすることも、人が抱えている闇の部分。過去の答えを過去に探してもマイナスしかうまれません。過去の行為の答えは未来にあります。未来のことは誰にも分らない、だから答えがでないし分からないんです。

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有り難し
おきもち

普通のOLから、結婚をきっかけに仏教に興味を抱きお坊さんになりました。 ...
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質問者からのお礼

大学に入ってからはほぼ毎日と言っていいほど悩んで悩んで悩んで自分を苦しめてきましたがなんだかようやく解放された気がします。
ここまで考えてわかったこと、また質問として書きたいと思うので読んでいただけたら幸いです。

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