回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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わがままですね。
輸血が嫌な人に無理にさせなくてもいいと思います。あなたはわがままと言えばわがままですが、生きて欲しい人が死んでほしくないと思うことには否定はしません。私なら悪人になってでもその人のために尽くします。それが自分の願いである限り。
そもそも自分の身体は自分のものではありません。自分の意志と関係なく、血は流れ、心臓は動き、脳は思考し、胃腸は消化し、のどはいつでも声を出せる準備をし、風邪になったら何とかして治そう熱を上げたり、怪我をしたら血を止めて傷口を塞ごうとします。自分の身体でさえ自分のものであるかどうかは分かりません。輸血をしてまで生きたくないというなら、その人の五臓六腑に許可を得なくてはなりません。と私は感じる次第であります。
それでも生きて欲しい
わがままかもしれないけどそれでも生きて欲しい、その気持ちは尊いと思います。その方はあなたにとってとても大切な方だと思います。その方はきっと輸血しなければ死に到る、輸血すれば生きられる状況でしょうか?その方は生きていたいけどそれでももしかしたら死ぬかもしれないけど輸血したくないのでしょうから?死にたいから輸血しないのでしょうか?どちらにしても哀しいですね。その方のお気持ちは前者であれ後者であれ、勝手ながら私は本当のお心は生きられるなら生きていたいだと思います。そしてあなたはその方に生きていて欲しいそのお気持ちですよね、私も生きていて欲しいです。あなたが生きていて欲しい、きっとその方も本当はあなたのためにも生きていたいはずです。だとしたら、輸血をされるべきです。ただその方に生きていて欲しいから。
輸血を嫌うその方にお伝えください、もしあなたが純粋に自分に他人の血が入ることが嫌と言うなら、それは日々に他の命を頂いて生きることを許していただいている私達の食事を嫌うと同じことだと思います。今日まで私達は多くの命の犠牲の上にしか生き来られませんでした、そしてこれからもです。そしてあなたがその犠牲に見合う生きる意味はあなた想う人のために精一杯に生きることだと思います。生きてください。
輸血拒否は宗教上ですか?
ま。さん、こんにちは。
その人は、宗教上の理由ですか?普通は輸血を拒否する人はいません。輸血するような状態で、そんなことは言っておれないからです。
そのことであなたが悩む必要はありません。輸血をしてでも生きて欲しいという思いは、普通の考えです。受け入れられないからといって、あなたの器が小さい、ばかなんて関係ありません。
それは別の問題、あなた自身の問題です。です。もっと自分に自信を持って強く生きてください。
合掌
こんにちは。
「お礼」を拝読しまして、あなたにしては長文で心がむき出しになった「お礼」となっている事におどろき、またうれしく思っています。
私は若い頃は献血をしていました。今は精神系のお薬を飲んでいるので残念ながらできませんが。献血で、ひとりでも救える命があると思うと良いものです。
一方で確かに「血が混ざると気持ち悪いなぁ」というのも分かります。でも、生きるか死ぬかの局面で、それが言えるというのも、大変な勇気と覚悟だと思いました。
できないなら、他の方法で。あきらめず。はげまし応援してあげてください。私も遠い場所からですが、心から回復を祈っています。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
結局どういうことかわからないです。輸血が嫌だという人に生きてほしいから輸血してほしいと思う私はばかなんですね。身体の動きに身を任せないといけないんですね。怖いです。出来る治療ならやってほしいと思う私はばかなんですね。すませんでした。怖いです。すませんでした。
お返事ありがとうございます。
ありがとうございます。
いっしょけんめい伝えます。
お返事ありがとうございます。
ありがとうございます。
宗教関係ないです。気にしてくれてありがとうございます。
お返事ありがとうございます。
ありがとうございます。
質問とお礼を読んでくれてありがとうございます。祈りありがとうございます。
お返事ありがとうございます。