自分の発言に対して
現在の仕事を辞めるつもりでいます。原因は年下の同期の女性に対する上司の態度に義憤を覚えたからです。
彼女には2歳になろうかという子供がいます。まだまだ親の手が離せない年頃ですが、それでも上司は仕事を優先させるよう圧力を掛けるのです。
自分はまだ独身ですが、過去に今回のようなモラハラ経験があるので彼女の気持ちがよく解るのです。そんな彼女や、私と同じように上司に不満のある同期複数人に「辞めてもいいんじゃないかな?」と話し、同意はしてくれたのですが自分は出過ぎた真似をしたのではないか、と今になって迷いが生じています。
自分は常に弱い者の味方でいたいのです。ですが「正義は振りかざした瞬間に悪になる」事も理解しています。彼女等を、自分を救うにはどうすればいいのか、お言葉を頂戴したく思います。
嫉妬、憤怒、強欲、怠惰、暴食、色欲、傲慢
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
会社は仲良し倶楽部ではない
物分りのいい人ばかりではありません。
世の中優しすぎると思いませんか。
優しさを履き違えている場合もあるのでは、と静かに考えてみる時間が必要です。
パワハラと言ってしまっては上司が部下を統率できなくなってしまいます。
理不尽と思っても部下は上司に従ってこそ
組織としてまとまっていきます。
会社は仲良し倶楽部ではありません。
嫌なら辞める。それも一つの選択でしょう。しかし、あなたがもし、今の上司の立場になったなら彼女たちを救うことができるかもしれません。
中長期的に考えて、今は堪え忍ぶことが懸命かと存じます。
公憤で興奮しない。
公の怒りは公の怒りとして怒るのは良しとしても、それで感情的になってやめるまで行かなくてもよいのではないでしょうか。
正義はもっと柔軟なものであるべきです。
韓信の股くぐり、忠臣蔵の志士たち、みな大義のために自らの公憤をおさめて大義のために柔軟な正義を選択したと言えましょう。
そこはぐっとこらえて、もっと長く残って、そういう差別、不条理、不正等を根こそぎ撤廃することの方が優れた正義です。
また、正義という事もそろそろ仏教的に解脱してみましょう。
誰かにとっての正義は誰かにとっての非・正義です。
正義という観念はある種危険思想的な所があります。
正義にも質があります。
わたくしという意識が混じっていないものほど純度が高いものです。
どんどん「わたくし」を削っていくと、仏道になります。
正義という狭い思想から、より柔軟な、独創性のある正義、誰も傷つけないおおらかな万人にとっての正しいありよう。
それが仏法です。
人が介入しないのです。
その目線で解決しましょう。この話は誰にあげれば誰も傷つかずにお互い苦労せず傷つけずに事がうまく運べるか。
違ったアプローチで臨んでみてください。
それが柔軟性ある正義です。
救うというより 、絶えず気に掛ける姿勢を保持する
斉天大聖さん
2歳の子ども抱えた女性に対して
上司は仕事を優先するように圧力をかける
それに対して
“自分は常に弱い者の味方でいたいのです。”
という感情は大変尊い感情だと思います。
ただ
“現在の仕事を辞めるつもりでいます。”
というのは一体どういう結果をもたらすのでしょうか
スッキリするということはあるかも知れませんが
お互いに不安や負担も増えてしまうような気もします。
今の職場で、子どもを抱えた女性が
子育てをしながら、仕事も出来るように
周りに働きかけ、サポートしていく
彼女等を救うというより
絶えず気に掛ける姿勢を保持していく
という長い目で関わっていく選択肢も
視野に入れてみて下さい。