母の手続きを終えて
先月母を亡くしまして
いろんな手続きが今日終わりました。
残す所49日法要とは違うんですが、戒名がないから、納骨式?骨葬と言うらしいんですが
になりました。
終わったとたん、なんだかすごく辛いと言うか寂しい気持ちになってしまいました
気持ち的にも落ち着いて来ていたつもりでいたんですが
もしかしていつもなくなった時から、なるべく普段と変わらす笑ってたり、していた反動でしょうか?
1人になると、もしかして本当はもっと出来る事があったのではと言う後悔からでしょか?
経済的理由により火葬式で行い、母が戒名なしの永代供養できちんとお葬式をしなかった後悔からでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
まずは納骨式?のお寺さんにご相談を
だいたいに亡くなってから1ヶ月経つころで死別の哀しさの山場が来るものなんです。
よく勘違いされがちですが、お葬式というのはお葬式その瞬間が大切なのではありません。枕経からお通夜で「亡くなったんですよ」ということに向き合い、お葬式で「遺族が自ら送り出す」ということをし、それから7日ごとの簡単な法要をしながら「故人のいない生活に少しづつ方向性を作り」、そうしながら死別の哀しさの山場を乗り越え7日ごとのお参りを49日のしっかりした法要で区切りをつける。そして一周忌で喪明け。という一連の流れに葬送というものがあるんです。
戒名についても名前そのものは表面的なものなんです。名前じゃなくて『授戒』が本体ですからね。まぁ、そこを語り出すと脱線するのでここでは語りませんが。
経済的理由…そこを込みで一度お寺さんに今の心情を全部ご相談なさってみて下さい。それで上手い具合の話の結果にならなかったらまたここでご相談ください。そうやって実際に動いて無理のない範囲で出来る限りのことをして差し上げることによって、葬送というものが生まれてきます。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました
1ヶ月位でピークが来ることがわかりました
人の心理なのですね
お願いするお寺では戒名がないので49日法要ではないと言うわれましたが、法要を相談したところお葬式に準ずる法要にしましょと
別の人に聞いたところ、それは骨葬式と言うわれました
が後悔等が残り、初めてのことでわからないことばかり一人っ子で旦那はすぎにすればといった感じなので少し愚痴になってしまったのかも
聞いてくださりありがとうございました
が後悔等が残り、初めてのことでわからないことばかり一人っ子で旦那はすぎにすればといった感じなので少し愚痴になってしまったのかも
聞いてくださりありがとうございました