社会に潜む悪魔のような存在
初めて投稿いたします。
私はようやく仕事にありつけたと思ったら、ある人間に目をつけられ(遅いながらも、返事明るく礼節は忘れませんでした)
何をしてもしなくても、事あるごとにいじめられるようになり
揚げ句の果てには会社を追い出されました。
色々書きたいですが、事情がある為に書けず申し訳ありません。
よく、出会う嫌な人間はあなたの修行の為に現れた神様?なんて文を見たりしますが
人の人生狂わせて笑っていられるなんて、疫病神ではないでしょうか?
同じ会社にいる人間なら、手を取り合って会社の為にできる事を考え切磋琢磨するもの。という
私の考えがイカれているのでしょうか?
女子社員を好き嫌いで差別したりする人間がトップの会社だなんて辞めて正解と今は思ってますが
大人になってまでイジメ(けして教育ではありませんでした)するような者が大きな顔して
勝てない人は、退職したり鬱になったり、最悪は自殺してしまう。
人を追い込んだ人間には、何もお咎めなし・やったもん勝ちなんですよね。
散々やられても、手を出したらこちらが負け。
経歴にも傷がついたし、人が怖くて外出もできなくなりました。
こういう人間は報いも受けず、安泰でいられるなんて憎くてたまりません。
これからどういう気持ちで生きていけばよいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
六道は異世界じゃない。心のなかにこそ地獄がある。
あなたのおっしゃることは至極もっともです。
人間というのは、人を思いやる本能を持っています。
しかしながら同時に、人を貶め、自分だけが得しようという残酷な本能も持ち合わせているのです。世の中には悪意が平然と人間の皮をかぶって生きているのです。
「出会う嫌な人間はあなたの修行の為に現れた神様」
ぼくはそうは思いません。嫌な人は嫌な人です。笑
では、なぜそんな嫌な人がいるのでしょうか?
それは、そういう人間の心はもはや人間界のそれではなく、餓鬼・畜生・修羅そのものなのです。
人間の皮をかぶっていても、あさましく、ずるく、いつも不満げに生きている人間の心は餓鬼道です。
食欲、睡眠欲、性欲をほしいままに、自制なく快楽にふける人間の心は、畜生道です。
いつも人を憎み、恨み、いらだち傷つけ、殺める人間の心は修羅です。
そして、いつまでも苦しみから抜け出せない、泣き叫んでも許されず、死ぬことばかり考えている人間の心は地獄でしょう。
六道輪廻といいますが、六道は死んで生まれ変わる先ではなく、心の中にあるのです。
そして、それを正しい道に導き救ってくださるのが仏様です。
それは、なにも信仰面だけでなく、その教えによって実際に心の中の地獄から救ってくださる。私たち僧侶は、それをつなぐための窓口でしかありません。
弘法大師空海の「三教指帰」には、あさましく生きる人間への儒教、道教、仏教のアプローチが戯曲風に描かれています。また、「十住心論」には、愚かな人間から仏まで、心の境地を10の段階で細かく説いています。
残念ながら、その方は仏縁に恵まれず、餓鬼畜生修羅の境地にいらっしゃる。
そんな人間は、いくら幸せそうに、悩みなく生きてるように見えても、心は人間のそれにあらず、地獄そのものです。
あなたは、仏法に巡り合えていますか?このhasunohaに出会えているということは、少なくとも仏教という山の登山口にはいるはずです。
仏法に遭い、自身の憎しみに気づいているということは、あなたは救われるはずです。
仏法に遭わず、自身の心の地獄なる様に気づけずに生きる人間と比べて、これからのあなたの人生はいかに幸せでしょう。
憎しみを捨てましょう。憎めばあなたも修羅となり、心は地獄から抜け出せません。
すぐには無理でしょう。じっくりと時間をかけて、仏法という漢方で、心の病を治すのです。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
毎日死ぬ事ばかり考えていて、たまたまハスノハにたどり着きました。
為になるお話がたくさんあり
これが、私の幸せを取り戻す一歩だと直感しました。
嫌な人は嫌な人 にクスリとしてしまいました。あ~私まだ笑えるんだって嬉しく思います。
憎しみを重ねるより、人の役に立つような事をしたほうが余程有意義ですよね。
とても心に響きました。感謝申し上げます。