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故人の名前を呼び続けることはいけない事でしょうか?

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有り難し有り難し 26

先日も、ご相談しました。
1月8日に大切な一人息子を自死させてしまいました。

息子はもうすぐ49日、そして仏様になられるのだから苦しんでいないと思い、日々、凪のように落ち着く事も出来るようになりました。

ただ大きな波に飲み込まれるような時には息子の名前を叫んでします。
会いたい、寂しいと叫んでしまいます。

その後は、共に過ごせた年月に感謝して南無阿弥陀仏を唱えられるのですが、事あるごとに、生前の息子を思い出し泣き叫ぶことは慎まなければと知りつつも泣き叫んでしまいます。

息子の名前を呼び続けることは、やはりいけない事でしょうか?

泣いて、叫ぶ事は息子の枷になるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

南無阿弥陀仏

故人の名前を呼ぶことはいけないことではありません。故人の枷にもなりません。何度でも、いつまででも呼んでください。

私もきっと、大事な人を亡くしたのなら名を呼ぶと思います。

それだけ名前というのは大きなものです。

その中で、「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えているというのは凄い事です。これは息子さんがきょこさんにその名前を呼ばせているのです。

南無阿弥陀仏は私にもきょこさんにも息子さんにも誰にでも流れる大いなる「いのち」の名です。

私たちが「お母さん」と呼べるのは私が先に「お母さん」と呼んだわけではなく、母が先に私たちに「お母さんだよ」と呼びかけていたからこそ呼べるものです。

今、私たちが「南無阿弥陀仏」といのちの名前を呼ぶということは、先に私たちが「南無阿弥陀仏」と呼びかけられていたのです。願われているのです。

息子さんを願うきょこさんが息子さんから願われているのです。仏様を願うきょこさんが仏様から願われているのです。

「花びらは散っても花は散らない。
形は滅びても人は死なぬ。」

というある僧侶の言葉があります。

故人の姿はなくとも「南無阿弥陀仏」六字の中にそのおおいなるいのちは流れています。

いつもででも、何度でも名を呼び、そしてお念仏申してください。

南無阿弥陀仏
合掌

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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質問者からのお礼

ありがとうございます。
毎日毎日、生前の時以上に息子の名前を呼んでしまいます。

そして息子の名前を呼んでしまうと涙が出てきてしまい、胸が詰まるのですが
南無阿弥陀仏と息子に対して知らず知らずに傷をつけてしまった事に懺悔文を唱えています。

すると不思議と少し心が落ち着きます。
ありがとうございます。

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