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過去の自分を供養したいです。

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有り難し有り難し 24

過去の自分を供養するという考えは仏教に通じますでしょうか?

私は学生時代他人に嫌われるのが非常に怖い人間でした。
特に高校時代、その傾向が強く表れていたと思います。

プライド高いのに無能な奴をあろうことか本気で親友だと思って過ごしておりました。
彼らからすれば当時の私は非常に都合が良く、道具として使いやすく、彼らの意にそぐわない時相当な文句を受けました。

それでも私は自分が悪かったと思い込み、彼らに友達でいて貰おうとしていたのだと思います。
今考えれば尋常ではありません。

大学に進学した後、全国から学生が集まりますから色々な人と触れ合う事で私自身、高校時代の連中はとても友人と呼べるものでは無いと気付かされ全員切りました。

絶縁を突き付けた際、後悔して詫びてくる人間が一人だけいましたが、それ以外(2人位)はプライド傷つけられたのが不愉快だったのか相当罵られお互いに音信不通となりました。

出来ることなら密厳浄土に辿り着くまで二度と会いたく有りません。
しかし最近駅ですれ違ってしまい、己の不運を恨む事しか出来ません。

学校を卒業して10年以上になりますが、未だに過去の糞と呼べる当時の友人に腹が立ち、同時に自分にも腹が立ってしまうのです。

過去の自分自身を供養してみたいと思うのですが、そもそもこの考え方は有っていますでしょうか。

過去の怒りと後悔と未練を断ち切り、浄化して未来を目指して今を生きる。
というのが理想です。

私の実家は浄土真宗ですが、成田山に参詣し、転職を御加護頂いてから真言宗を信仰しています。
(頂こう 生き抜く力。成田山のキャッチフレーズが大好きです!)
どうぞよろしくお願い致します。

2024年8月26日 19:45

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

無くすことに執着するよりも、誰よりも成長し強く賢い大人に。

死者や先祖を祈り弔う、仏様への御供という意味も広く含めて「供養」と呼びますね。
あなたの場合は、悪縁と言いましょうか、過去の怒りや後悔を断ち切り、悪しき影響を未来へ与えたくないのですよね。

過去の質問も読ませてもらいました。学校という狭い人間関係の中では、出会う人も影響を受けるのも学生。未熟がゆえに、相手の立場や想いを考えもせずに、自分中心に物事を捉え、周りを振り回し、また振り回されてきた人もいるでしょうね。

おかしい、嫌だ、と言うことにも勇気が要り、同調圧力のような集団社会に身を置いていた頃には、気づけなかったこともあったでしょうね。そのために、傷ついてきたことも悔しかったこともあったでしょうね。

地元で過ごしたり、過去の人に出会うことも、生きていれば避けられないかもしれませんが。それも自分が生きてきた歩みです。無かったことには出来ないでしょう。
ですが消し去ることよりも、あの頃より強くなっていく力を備えましょう。

もう誰にも何も言わせない!そんなあなたになりましょう。
そして、過去から変わっていない人たちとは、今後も付き合っていくことがないのですから、あなたの中で消し去ればいい。

プライドはね、威張ることではないのですよ。相手を大切にもできない、ひとりよがりの我は、プライドではなく、ただのワガママです。

『実るほど頭を垂れる稲穂かな』
知識や徳を積んだ人ほど、謙虚で賢い人なのですよ。
そんな自分や相手の尊厳を守れることが、大切なプライドです。

どうぞ、過去に捉われず、無くすことに執着するよりも、誰よりも成長し強く賢い大人になりましょう。

2024年8月26日 23:37
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有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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過去の自分はもういない。功徳の種をまく。

細胞は新陳代謝で入れ替わり、心は瞬間ごとに浮かんで消えていますので、過去のあなたはもうどこにもいません。
なので、どこにもいない過去の自分を供養するというのは実体を伴わない概念的な話になってしまいます。
また、供養するとは、おもてなしやお布施(食べ物等を寄付)を意味します。
過去の自分をおもてなしして喜ばせるというのは、タイムマシンでも無いかぎり無理ではないでしょうか。
ということで、「過去は過ぎ去りもう無い」と思って、過去に関する妄想雑念や思考の堂々巡りを膨らませないようにすれば、それで良いと思いますよ。
また、現在や未来の自分が幸せになれるように、功徳(善い行いによる良い癖付け)の種を、心の畑にまき続けることも大切です。
功徳の種がいつ芽を出すのかは私達にはわかりませんが、種をまき続けることは現在の私達にも可能なのです。
過去にまいた罪業(悪い癖)の種も心の畑に眠っていますが、それを上回る功徳の種を育てたいですね。

2024年8月27日 12:42
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

お返事有難う御座います。

>『実るほど頭を垂れる稲穂かな』
知識や徳を積んだ人ほど、謙虚で賢い人なのですよ。
そんな自分や相手の尊厳を守れることが、大切なプライドです。

ここのお言葉マジで深いです!
凄い自分に響いてきました。
過去の質問もお読み頂いて本当に有難う御座います。独りよがりの我はただのワガママ。
学生時代の大半がそんな人間達でした。
私自身はそんな人間に落ちぶれない様に周りの人への感謝や神仏を敬う事を忘れず精進して参りたいです。

暖かいお返事誠に有難う御座いました!
また書かせて頂くと思いますのでよろしくお願い致します。

感謝合掌!

願誉浄史さま

お返事有難う御座います。
拝読して腑に落ちました。
確かに過去の自分はもういないですし、タイムマシンが無いと不可能な考えになってしまいますね。
今や未来の自分がより良くなる為にも功徳の種をまき続ける事を心がけた方が生産的ですね。
必ず芽が出ることを願いながら。
お礼が遅くなり失礼致しました。
有難う御座いました。
感謝合掌!

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