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過去の自分を供養したいです。

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過去の自分を供養するという考えは仏教に通じますでしょうか?

私は学生時代他人に嫌われるのが非常に怖い人間でした。
特に高校時代、その傾向が強く表れていたと思います。

プライド高いのに無能な奴をあろうことか本気で親友だと思って過ごしておりました。
彼らからすれば当時の私は非常に都合が良く、道具として使いやすく、彼らの意にそぐわない時相当な文句を受けました。

それでも私は自分が悪かったと思い込み、彼らに友達でいて貰おうとしていたのだと思います。
今考えれば尋常ではありません。

大学に進学した後、全国から学生が集まりますから色々な人と触れ合う事で私自身、高校時代の連中はとても友人と呼べるものでは無いと気付かされ全員切りました。

絶縁を突き付けた際、後悔して詫びてくる人間が一人だけいましたが、それ以外(2人位)はプライド傷つけられたのが不愉快だったのか相当罵られお互いに音信不通となりました。

出来ることなら密厳浄土に辿り着くまで二度と会いたく有りません。
しかし最近駅ですれ違ってしまい、己の不運を恨む事しか出来ません。

学校を卒業して10年以上になりますが、未だに過去の糞と呼べる当時の友人に腹が立ち、同時に自分にも腹が立ってしまうのです。

過去の自分自身を供養してみたいと思うのですが、そもそもこの考え方は有っていますでしょうか。

過去の怒りと後悔と未練を断ち切り、浄化して未来を目指して今を生きる。
というのが理想です。

私の実家は浄土真宗ですが、成田山に参詣し、転職を御加護頂いてから真言宗を信仰しています。
(頂こう 生き抜く力。成田山のキャッチフレーズが大好きです!)
どうぞよろしくお願い致します。

2024年8月26日 19:45

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

無くすことに執着するよりも、誰よりも成長し強く賢い大人に。

死者や先祖を祈り弔う、仏様への御供という意味も広く含めて「供養」と呼びますね。
あなたの場合は、悪縁と言いましょうか、過去の怒りや後悔を断ち切り、悪しき影響を未来へ与えたくないのですよね。

過去の質問も読ませてもらいました。学校という狭い人間関係の中では、出会う人も影響を受けるのも学生。未熟がゆえに、相手の立場や想いを考えもせずに、自分中心に物事を捉え、周りを振り回し、また振り回されてきた人もいるでしょうね。

おかしい、嫌だ、と言うことにも勇気が要り、同調圧力のような集団社会に身を置いていた頃には、気づけなかったこともあったでしょうね。そのために、傷ついてきたことも悔しかったこともあったでしょうね。

地元で過ごしたり、過去の人に出会うことも、生きていれば避けられないかもしれませんが。それも自分が生きてきた歩みです。無かったことには出来ないでしょう。
ですが消し去ることよりも、あの頃より強くなっていく力を備えましょう。

もう誰にも何も言わせない!そんなあなたになりましょう。
そして、過去から変わっていない人たちとは、今後も付き合っていくことがないのですから、あなたの中で消し去ればいい。

プライドはね、威張ることではないのですよ。相手を大切にもできない、ひとりよがりの我は、プライドではなく、ただのワガママです。

『実るほど頭を垂れる稲穂かな』
知識や徳を積んだ人ほど、謙虚で賢い人なのですよ。
そんな自分や相手の尊厳を守れることが、大切なプライドです。

どうぞ、過去に捉われず、無くすことに執着するよりも、誰よりも成長し強く賢い大人になりましょう。

2024年8月26日 23:37
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おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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過去の自分はもういない。功徳の種をまく。

細胞は新陳代謝で入れ替わり、心は瞬間ごとに浮かんで消えていますので、過去のあなたはもうどこにもいません。
なので、どこにもいない過去の自分を供養するというのは実体を伴わない概念的な話になってしまいます。
また、供養するとは、おもてなしやお布施(食べ物等を寄付)を意味します。
過去の自分をおもてなしして喜ばせるというのは、タイムマシンでも無いかぎり無理ではないでしょうか。
ということで、「過去は過ぎ去りもう無い」と思って、過去に関する妄想雑念や思考の堂々巡りを膨らませないようにすれば、それで良いと思いますよ。
また、現在や未来の自分が幸せになれるように、功徳(善い行いによる良い癖付け)の種を、心の畑にまき続けることも大切です。
功徳の種がいつ芽を出すのかは私達にはわかりませんが、種をまき続けることは現在の私達にも可能なのです。
過去にまいた罪業(悪い癖)の種も心の畑に眠っていますが、それを上回る功徳の種を育てたいですね。

2024年8月27日 12:42
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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

お返事有難う御座います。

>『実るほど頭を垂れる稲穂かな』
知識や徳を積んだ人ほど、謙虚で賢い人なのですよ。
そんな自分や相手の尊厳を守れることが、大切なプライドです。

ここのお言葉マジで深いです!
凄い自分に響いてきました。
過去の質問もお読み頂いて本当に有難う御座います。独りよがりの我はただのワガママ。
学生時代の大半がそんな人間達でした。
私自身はそんな人間に落ちぶれない様に周りの人への感謝や神仏を敬う事を忘れず精進して参りたいです。

暖かいお返事誠に有難う御座いました!
また書かせて頂くと思いますのでよろしくお願い致します。

感謝合掌!

願誉浄史さま

お返事有難う御座います。
拝読して腑に落ちました。
確かに過去の自分はもういないですし、タイムマシンが無いと不可能な考えになってしまいますね。
今や未来の自分がより良くなる為にも功徳の種をまき続ける事を心がけた方が生産的ですね。
必ず芽が出ることを願いながら。
お礼が遅くなり失礼致しました。
有難う御座いました。
感謝合掌!

「供養の仕方」問答一覧

どのようにご供養したらよいのでしょうか…

精神科の看護師をしています。 ずっと心に引っかかっていること、そう思いたくないですがそれが原因…?かとも思えてしまっているできごとも現在起きていて、でも身近でこのようなことを相談できる専門の方がいないので、悩んでいます。こちらのサイトをみつけ、相談してみようと決意しました。 担当していた患者さんが、治療を始めた矢先に亡くなってしまいました。(原因は医学的に説明できるもの) その患者さんが治療を選択したり、治療を受けられる手配を整えるのを、担当である私は看護師としてできることはしようとその時は全力であったのは、誓ってうそではありません。 ただ、亡くなったあとで、専門的な部分にもなってしまうのですが、私の行った言葉がけや行動でその治療に患者さんが望んだならば、結果的にこの患者さんの寿命を私が短くしてしまったのだと思えます。もっとしっかり日頃から勉強する姿勢を持ち、知識を持ち、情報を集められていたならば、別の選択肢を選ばせてあげられたのではないか、それをできてこその看護師だと思います。精神科であるならばなおさら、なのです。 だから、その患者さんは、そのようなことを思う方だとは思っていない反面、私のことを責めていてもおかしくないと思います。 そしてさらに私は、この仕事をしているにも関わらずご遺体を目の前にするのにはいつも怖さみたいなものがあり、上記の経緯もあり、この患者さんへ最後にあいさつができたであろう霊安室にも、足を運ばなかったのです。最後にごめんなさいと、ちゃんと伝えず、お見送りも避けたのです。 後悔しています。 この患者さんへ、今できるご供養があるならば、どのようにさせてもらえればよいのでしょうか。お墓参りやご自宅に行くことは、難しいです。 教えていただければありがたいです。 よろしくお願いいたします。

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先祖供養について

お世話になっております。 種々の僧侶様が、先祖供養の重要性を説いていらっしゃいます。 「布施」の概念だったり、施餓鬼における「回向」の概念だったり、先祖による「守護」の概念だったり、「滅罪生善」の概念だったり…。 素晴らしいと思います。 祈願が叶わないときには、まずは回向をと言われる方もいらっしゃいます。 それほどまでに供養・回向というものは仏教にとって重要な概念かと思います。 私自身もお寺に供養をお願いしたり、施餓鬼を申し込んだりしております。 ですがその際、少し疑問が生じるのです。 ①「●●家先祖代々の霊位」だけで仏さまに通じるのか?同姓同名がたくさんいるなかで、どこの「●●家」なのか特定する必要はないのか?というものです。 ここには、一応「自身の思いがあれば特定はそれでよい。仏さまはわかってくれる。」と解釈していますが、それでよいのでしょうか。 ②もう1点、上記①がそれでよいとすると、専ら供養の本質は「供養したい」という施主の主観によるものになると思いますが、そうすると、世間を騒がせている霊感商法まがいの「壺を買って先祖供養」などのものも、施主が「供養したい」という思いから出ているため、実際に功徳は生じ、回向されるものなのでしょうか? (もちろん、この結論とは別に、社会悪として霊感商法は駆逐されるべきですが。) 法外な値段をとるかどうか、供養の動機付けが恐怖心に漬け込むものなのかどうかは別として、霊感商法もお寺での供養も「施主の思いをかたちにする」という意味では変わりはないのではないかとも考えてしまいます。 これに関しては、お寺では「如法」という確立した方法論があるという結論になるのでしょうか。 決して先祖供養を否定するつもりはないのですが、どうもそのところが腑に落ちません。

有り難し有り難し 6
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どう供養するのが良いのか教えてください

岡山県に住む50代女です。男の子3人の母です。 子どもたちは皆独立、現在は夫と2人暮らしです。 わたしの母の実家(広島)のおじ(母の兄)夫婦のところに子どもがなく、祖父母が亡くなった後、夫とわたしとで、養子に入りました。 兄おじ夫婦と棟続きに住んでいる弟おじ夫婦のところにも子どもがなかったからです。 9年前に弟おじが、7年前に兄おじが亡くなり、残ったおば2人はあまり折り合いがよくありませんで、両家の間には長い歴史の中いろいろなことがありました。 3週間ほど前に養母である兄おじの奥さんである姉おばが、自宅階段の手すりで腰紐を使い首をつり自死しました。発見した妹おばはいまだにその場面がフラッシュバックして眠れないと言いますし、わたしも姉おばの支えになれなかったことが残念で気持ちの整理ができません。 養母である姉おばは3月に転倒し左肩を骨折・手術し、その後肺水腫、さらに心臓にペースメーカーを入れるなど次々と不調が続き、薬の副作用などで先行きが不安になったと思われます。骨折までは1日に一万歩歩くような元気なおばで有名でしたから、どんどん体が衰えていく自分のギャップは苦しかったことと思います。 養子とはいえ隣の県に住んでいたので、おばもわたしが病院に付き添いで広島まで行ったりすることを申し訳ながっており、そばにいる弟おじの奥さん(妹おば)にも、弟おじが膵臓がんで闘病中などでも手を貸すことがなかったからか、助けを求めることはほぼありませんでした。 だから、わたしたちに助けを求めることなく何の遺書もなく、自ら命を絶ったのでしょうか。 やるせない気持ちでいっぱいです。 お尋ねは ・亡くなった時に来ていたパジャマなど(警察から返してもらった)をわたしも、そして妹おばにも見せたくなくて、ゴミで捨ててしまったことがとても気になっています。どうすればよかったのでしょうか。 ・自死した階段に何かすることはありますか。 ・遺品はどう処分したらいいのでしょうか。 ・警察から返された結婚指輪などお骨と一緒にお墓に入れてあげたらよいでしょうか。 姉おばがちゃんと成仏できるように、わたしができる限りのことはしたいと,四十九日までは七日毎の法要を営むことにしておりますが、他にちゃんとしてあげられることがありましたら教えていただきたいと思います。 どうぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 5
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ご供養の仕方について。

ご供養の仕方について質問です。 私はとある新興宗教に以前入っておりました。 今は経済的に厳しいことや、菩提寺のお坊さんの助言もあり、脱退しましたが、過去帳というものを作ったので日めくりにして、毎日般若心経を読んで、お線香をあげています。今年は月命日という習慣があるんだと知り、月命日にはお墓参りをしようと目標をたてたのですが、母が倒れたショックと、家を売却した環境の変化に耐えきれず入院してしまい、お彼岸にも行けなかったので、先月やっと退院してお墓参りできました。以前はお墓が歩いていける距離でしたが自転車で2時間以上かかるので休みにしか行けなくなってしまったので彼岸とお盆と新年には行こうと思いますが、命日や月命日は行けたら行くので良いんでしょうか。それとはまた別なんですが、うちの仏壇は造花が飾られていてまえから気になってはいたのですが、やっぱり生花のほうが良いのではないかと。言っても、生花はお金がかかるからダメだと親がいうので。 仏教を通して、座禅や写経や読経やお地蔵様のお掃除など作務を行ってきましたが、遠くなってしまっては。よく分からない文章になってしまいましたが、宗教嫌いな人は沢山いるけど、私は仏教が大好きです。仏様が墓参りしろと言ったんじゃないことは知ってますが、お墓参りというのはしたほうが良いと私は思ってますが、宗教はいけないことなんでしょうか。

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位牌も遺影もない祖父母の供養

お忙しいところ、失礼いたします。 祖父母の供養方法について心にモヤがあり、相談をさせてください。 当方、結婚を機に実家とは離れた県で暮らしております。 実家で一人暮らしをしている父は片付けができず、家は現在、ゴミ屋敷のようになっています。 恥ずかしながら、祖父母の位牌があるお仏壇も埃を被っており、帰省の際には私が掃除をいたしますが、日頃からお茶やお水、ごはんやお線香などがあげられているわけではありません。 また、私が今パートナーと暮らしているのは賃貸で、お部屋には神棚もお仏壇もございません。 祖父母、特に祖母はお茶がとても好きなひとでしたため、せめてお茶だけでも、と思い、 毎朝窓辺に淹れたてのお茶をお供えし、手を合わせております。 ただ、心の中には 「祖父母が案じるとすればおそらく父のことであるし、 実家の方のお仏壇を綺麗にして、そこに毎日お供えをしなくては意味がないのではないか」 という思いがございます。 頻繁に実家に帰ることも難しいのですが、やはり縁もゆかりもないような場所で、 位牌も遺影も置いていない窓辺に何かをお供えし手を合わせる、という行為だけでは、 故人には届かないものでしょうか? 遠方に暮らしている時の、日々の供養の方法について、何かよりよい方法がございましたら、お教えいただきたく存じます。 なにとぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 10
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ